『ホツマツタヱ』1アヤの7回目。交感神経と副交感神経の事。

「キタ(北)」の「タ」は、「ハル(春)」に相当しまして、また、「キタ」の「タ」が、
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの、概念のうちのひとつの「タ」であることも、
ご理解頂けたかと思います。


わが国の本当の文明って、「縄文哲学」は奥深くも深淵で高貴さが強く際立っています、ね。
すごいことです。
漢字に捉われたら、絶対に分からない感覚です。
これが、わが国の本当の真実「やまとことは」の高度さそのものです。

「来る」の動詞など、単音の動詞語幹のお話しに踏み込んでゆきたいと思います。
「ある」「いる」「うる」「える」「おる」
などと、動詞化言葉の「る」をくっ付けると、動詞として使えます。


現代でもこの機構は健在です。「事故る」「トラブる」など、新造語にも活用されます。
わが国語の適応力は、今にも活発な躍動をしています。
単音動詞語幹の事、動詞化言葉の「る」をくっ付けると、
くっ付け前の単音韻の意味が能動的に表れます。
それが、
「ある」「いる」「うる」「える」「おる」
「かる」「きる」「くる」「ける」「こる」etc.
となってゆきます。
ア行には、派生の意味合いの起きるのも少ないです。子音のイメージが、存在を表現する「タネ」であるからです。
分岐する概念が少ないのですね。
「ある」「いる」「うる」「える」「おる」の違いの事、
何かしら感じるところがあると思います。
子音のイメージが「タネ」で同一ですから、母音の違いによる差が、
「ある」「いる」「うる」「える」「おる」に現われて来ます。
初めに起きた言葉を「第一語意(仮名)」とも申せましょうか?
「第一語意(仮名)」に次ぐ、「第二語意(仮名)」や「第三語意(仮名)」などの語意に分化もします。
「いる」には、「居る」も「要る」も「射る」も「炒る」も「鋳る」も生じて来ます。
「うる」には、「得る」も、「売る」も生じて来ます。
「おる」には、「居る」も「折る」も「織る」もあります。


カ行には、
「かる」(刈る、狩る、借る、駆る)などとも、「第一語意(仮名)」に次ぐ、「第二語意(仮名)」や、
「第三語意(仮名)」などの語意も分化します。
48音それぞれ面白いので、みなさま、一度お考え下さい。
これが、縄文時代の初め頃の感覚です。
わが国の初期の文明開化です。クニトコタチさまの、わが国の建国の当初の時代です。

               ・

さてさて、
「キタ(北)」の「タ」が、どうして?
ハル(春)と、関連するのか?
前回までの解説でお解り頂けたと思います。もう、二音韻語の発生の時代です。

クニトコタチさまの時代からは、少し後世にくだります。
さて、今回は、
『ホツマツタヱ』の1アヤの11ページの文章の吟味に付いて、
もう少し踏み込んで考えたいと思います。
「 アサキ オ(を)うけて
ナガイキの ミヤのうしろオ(を)
キタとイフ ヨルはねるゆゑ
キタはネそ」
原文をご覧ください。

ひらかな・カタカナにしただけで、意味合いの削除が多くされてしまいます。
怖い事で御座います。その怖い事が、ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字が読めないでは、
少しも感じられないと言う、さらなる、怖さの事。
GHQがやって来て、床の間の床柱(とこばしら)にペンキを塗りたくられても、
何にも感じない恐怖に同じです。直訳偽書の怖ろしさ、「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」の恐怖です。
こわいですね。
「ある」「いる」「うる」「える」「おる」や、
「かる」「きる」「くる」「ける」「こる」だって、
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字で考えると、スキッと語意が解かってまいります。

本物だからですね。
               ・
さて、
そうして、ミヤの大宇宙からの恵みをいっぱいに受ける、南向きの、
その後ろ側、それを「キタ」と言うわけです。
「ハル(春)」が萌(きざ)すから「キタ」と言うわけです。
日の巡りがあって、気温の巡りはひと月ぐらいの遅れが有るのを、
「トシノリ」に込めてクニトコタチさんはお教えになられていたのです。
興りが有って、展開が有る。
兆しが有って、開花が起きる。
ミナミの長生きを得るには、後ろ側に、根っこが有るのです。
それが「ネ」です。日中の活き活きとした、はたらきの活動をする為には、
夜にゆっくりと休む必要があります。
人体でもそうです。
交換神経と副交感神経の、織(お)り合わせです。
日中の活発の時期の交感神経。
夜中の休息時期の副交感神経。
ふたつの撚(よ)り合わせ織り合わせが、人体の絶妙なバランスを取っています。
ひとひ、の、一日でもそうです。
日中の、活動の時。
夜中に休む時。
このバランスが必要です。
夜中にゆっくり休むことで、「ネ(根)」を「ネル(練る)」事が出来ます。
充分に休んで、チカラを付ける。
それが、「ネ(根)」を「ネル(練る)」の役目です。今に言う、副交感神経のはたらきです。
季節のことに勘案して言うと、
冬至からが、「ネ(根)」を「ネル(練る)」本格の時期に成ります。
それで、「キタワス(鍛える)」の意味がここに有りました。
「タ」の「ハル(春)」の息吹きをこの時期に込めてゆくから、
硬いクロカネ(鉄)の鋳物の鉄だって、ハカネ(刃金)になります。

煉り鍛えるからです。それで、つよくて強靭にして柔軟さを持ち得ます。
硬いだけじゃダメなんですね。もろいのです。ポロって、折れて砕けちゃいます。

いかに、「タ」の「ハル(春)」のモエの息吹きを込めるか。

込め得るのか? これが、「ネ」の「キタ」の意義です。
どうでしょうか?
「ヨルはネルゆゑ キタはネそ」
の深い意味合いのこと、感動して貰えましたでしょうか?

ヒトも、夜も寝ないで頑張り続けていたら、いつか? ボキッて折れてしまいます。

何処か脆弱な所が病を得てしまいます。ゆっくり休んで下さいね。
「ネル」の言葉でも、「寝る」も「練る」も「煉る」も、複雑に意味込めが為されていました。
だから「キタ」は「ネ」だったのです。
「ネ」は、「キタ(北・ネ)」でもあり、「寝る」でもあったのです。
原字のヲシテ文字で読んでみると、
「おー!!」って、感動の納得が得られます。
なんでこんなにも、「縄文哲学」って、すばらしいのか!?!!!

       ・      ・      ・      ・      ・
わが国の本当の文明は、ヲシテ文献で解明された如く「縄文哲学」にありました。

直訳は「縄文哲学」を覆い隠すだけです。
「縄文哲学」に基礎をおいて、漢字以前の時代の文化・文明は形作られていたのが、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の発見と現代研究でやっと解かったので御座います。

本邦初の、1300年ぶりよりも、もっとの、

ゆうゆうに、2000年以上の、本邦初の新解明の出来事であります。

バッカみたいな、「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」では、とても、ムリなことで御座います。

この新事実に、辿り着けるには、です。

| - | 11:37 | comments(1) | - |

『ホツマツタヱ』1アヤの6回目。「キタ(北)」の言葉と、「タ(春)」との関係性の事。

「キタ(北)」の「タ」は、「ハル(春)」に相当します。
「キタ」の言葉を説明するにも、「縄文哲学」が必要です。


なぜならば、「キタ」の「タ」が、
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの、概念のうちのひとつの「タ」であるからです。
国家建国の、わが、縄文建国の始まりに際して、
国祖のクニトコタチが、「トシノリ」を定められたことに始まります。
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの説明なくしては、
「キタ」の「タ」の「縄文哲学」は説明困難なのです。
それほどに、国祖のクニトコタチの時代の哲学概念は高度です。
私が読み解いて以来、ずっと、『ホツマ辞典』にも記載して、
ずっとずっと使って来ている、座右の図を掲げます。

さてさて、もう一度、ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの関連のその「トシノリ」を、
考えてみたいものです。
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの理解の基礎には、
勿論の事に「アワウタ(アワのウタ)」や、48音図表の理解が必要です。
さらなる上に、
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの「トシノリ」の概念が有ります。
             ・
ひらがなや、カタカナで「アワウタ(アワのウタ)」を読んでいるのは、
入り口の段階のレベルです。もちろん、悪い事ではありません。

わたくしは、その上の望ましい姿を、主張しているだけです。
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字で、読み書き出来て来ましたら、
発声の際のクチの形状にも、スキッとした統一感も出来て来て、
発音も格段に美しくなります。レベルのもう一段のUPですね。
アマテルカミもお使いであらせられたヲシテ文字、それを読みもできない書きもできないでは、

レベルUPには、お話にもならないと思います。

ここで、多くのこれまでの「いときょう」さんとか、鳥居礼君とか、
そういった、直訳の人達は全員落伍します。残念なことですが、私にはどうしようもありません。
教えを乞われたら、もちろんのこと、いつでも懇切にと親切にとサポートを致します。
それは、本当の「国学」樹立に向けて一緒に歩む同志としての位置だと認識しての事です。

 

        ∽  ∽   …   ∽  ∽

 

さて、「キタ」の語意の事、これも、かなりむつかしいので御座います。
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の出現と現代研究の進展で見えてきた、
ひとつの、仮説の段階です。でも、おもしろそう。かなりに。
さて、そのことは、
「キタ」の言葉の用例を分析してみて分かったのでした。

「北」の意味の用例、27例。

「来る」の意味の用例、23例。

「きたなき」「きたなく」「きたなし」「きたなき」「きたなし」「きたなし」の用例。

と、

「きたわせ(鍛わせ)」「きたひ」「きたえ」の用例。

この用例の中で「キタナシ(汚い)」の意味に使われている言葉が、

語源を考えるときの、
カナメになります。
「キタ」が「無い」から「キタナシ(汚い)」と言うわけです。
「タ」のハル(春)が来ないから絶望的で、それで、「キタナシ(汚い)」と言うわけ。
なんと、納得できる語源なのか!
と、私は感動をもって感激でした。

漢字の置き換えから、「汚い」のイメージで考えると、
「タ」のハル(春)との関係性なんて気が付きません。
どうしても、アマテルカミのご使用であらせられた、
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字を、
今に実際に読み書き出来てこそ、本当の、わが国の「縄文哲学」が解かります。

「鍛える」のことばも、「タ」がハル(春)の意味だとすると、何とも納得できます。

               ・
歴史的に考えますと、
一音の語が、古いです。
二音や三音など、複韻重韻の語は、単音韻の言葉よりは後発性だと、そう睨んでおりました。
「キ」「ツ」「サ」「ネ」の方角の一音の言葉は古いです。
「キタ(北)」の言葉は、その後になってから発生したと考えられます。
つまり、2音韻の複合語だったと理解が及びます。
「キ(来る)」と「タ(春)」の複合語だったのです。
国語の発達・発展は、縄文時代の前期の中葉の頃に、
まとまった進展が起きたと思われます。48音韻の成立が有ったと思われます。
その後に、縄文時代の後期に、また、大きな進展が有ったように、私は捉えています。
それが、ヲシテ時代の中期に該当します。2音韻の複合語などの発生です。
水田稲作が国家経済の根幹にとなる時です。
でも、
その後、奈良時代でも平安時代でもそうでしたが、
一端危急の気候の変貌の異常気象に見舞われましたら、
ちょっと前までの、高度な集積的な農業がバラけちゃう事態も、
何回も、経て来ています。その際は、また、小家族の静かな暮らしの、
言うならば古来からの「縄文生活」に、しばらくは、なりをひそめて、気候の好転を祈念しているのが、
私たちの先祖の姿であったと思います。
すごい事で御座います。
縄文時代の前期からの考古学の発掘からの歴史が、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に、ぴったりと、当て嵌(は)まります。
不思議なことです。やっぱり、『古事記』の原書は、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」であるとして考えると、
100%スキッと納得します。

さてさて、
「キタ(北)」の「タ」が、どうして?
ハル(春)と、関連するのか?
このことも、「縄文哲学」の概念に依拠して初めて、「おー!!」って、感動の納得が得られます。
なんでこんなにも、「縄文哲学」って、すばらしいのか!?!!!


わが国の本当の文明は、「縄文哲学」にありました。
「縄文哲学」に基礎をおいて、漢字以前の時代の文化・文明は形作られていたのが、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の発見と現代研究でやっと解かってまいりました。

| 国語 | 09:38 | comments(6) | - |

『ホツマ ツタヱ』1アヤの5回目。「キタ」の意味のこと。

アマテルカミは、国民の幸せのために、と、
長生きをなさって下さっておられました。
それも、誰も食べられないほどの、
苦い苦い薬草をお召し上がりになられて、です。
長寿の薬草のチヨミクサは、とても苦かったとの事でした。
          ・
と、
カナサキさんから、わたくしたちがこの話を聞きますと、
この、日本人ならジーンとくる感動の話は、
『古事記』にも『日本書紀』にも、
たったの一行ぽっちだって、書かれていません。
だから、翻訳ものの、劣化コピーの『古事記』や『日本書紀』は、
ダメだっていう事で御座います。

とくに『古事記』は、ネストリウス派の神教の影響が強いので、

良く良く注意すべしです。

この点、本居宣長はポンコツだったと言えます。

1300年前の帰化人グループのおとしめに、気が付かないのです。

言ってみれば、お花畑もいいところでした。

それに比して、本居宣長の師だった賀茂真淵は偉かったですね。

松坂の一夜の物語は有名でしたが、

いまでは、あまり聞いた事無い人も多いようです。

やっぱり数段の格上です、賀茂真淵は。

けっこうの識者でも、戦中や戦後生まれのお方は、

『古事記』と『日本書紀』との違いも知りもしないお方も多いです。

本居宣長は、生涯かけて、あこがれの恩師の賀茂真淵に不実の償いをしていました。

事実上の「破門」をされたからですね。

三重県の津市の石水美術館に、それと解かる書簡が保管されています。

わたくしが思いまするに、師の先にと乗り越えてゆく事は、

本居宣長には出来得なかったのでしたですね。残念ながら。

「破門」されたら、「ミソギ」をして出直してくるか?

または、師の先にと歩みを進めるか?

ふたつにひとつ、前進的なスタンスではですね。

どちらにも、前向きの展開が出来得ず、悶悶と、

世知辛くやっていっただけの人物が、本居宣長だったとも言えましょう。

彼も、そこで、脱皮をして行けたら、すごかったとも思います。何しろ、彼は、頭いいし。

なんでも「根性」が大切だと思います。とくに、あたらしい「国学」の樹立という、

大きなテーマでは、尚更です。

 


       ・       ・
さて、さて、

『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に、話を戻しましょう。
私たちもそうですが、
ヒトは、天地自然からの恵みを受けて、生命を繋げています。
一時だってそうです。
アマテルカミのご長寿も、やはり、天地の恵みを得てこそだったのでした。
天地の恵みの事も、東西南北の「キツサネ」の名称にも反映がされての命名でした。
温かさを得る「みなみ」とは、活力のみなもとです。
多くの活力を得るようにと、アマカミ(古代に天皇陛下)の「ミヤ」は、


南向きに建築されていました。これが常識的な標準です。
今でも、神社の多くは南向きに建築されています。
アサキ(朝の気)を受ける南、とも言えますし、
もっと深く踏み込んで考えますと、


「ア(アメ・宇宙の源)」からの「サ(さわやかに広がる)」の「キ(エネルギー・ナミ・恵みのちから)」
を、多く受けるのがミナミで「ミ(実・身・身体)」に「ナミ(成りくるもたらし)」の意味にも取れます。
樹木でも、南側は年輪の幅が広くて、早く成長しています。「ミ(実・身・身体)」に「ナミ(成りくるもたらし)」を、


多く受けるからです。
そうして、南向きに建築されるアマカミの居宅はミヤと呼ばれます。
「ミ(実・身・身体)」に「ナミ(成りくるもたらし)」の来るのが、

「ヤ」のように際立つからです。だから、「ミヤ」と呼ばれるのです。


「ヤ」は、上方の「ア」との繋がりを表します。大地に当たり広がる雰囲気も表現しています。
大宇宙の中心からの恵みを、人々に広めるイメージに成りましょうか?
そのミヤの、後ろ側は、「キタ」と言います。
「キタ」も意味の込められた言葉です。


「タ」が「来る」ことの意味が込められてもあるようです。
「タ」は、温かさの充満してくる春の事でもあります。
ヲシテの文字をよく見て貰うと解かります。


棒が3本、丸の空中に入っています。
温かさの棒が4本。
冷たさの棒が4本。
この入れ代わりで、季節変化を表現します。ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの、原理です。
「縄文哲学」の基礎です。
これも、ヲシテ文字で書かないと訳が分かりません。

基礎的な概論は、辞典の『ホツマ辞典』(池田満、展望社)で既述しています。
「タ」の文字は、棒が3本、丸の空中に入っているので、
「ハル(春)」に相当します。
「キタ」の言葉を説明するにも、「縄文哲学」が必要です。
「縄文哲学」に基礎をおいて、漢字以前の時代の文化・文明は形作られていたからです。
「キタ」の説明を聞くだけで、もう、お疲れでしょう。
今回はこの辺で置きましょう。まずは、みなさま、『ホツマツタヱ』か、『ミカサフミ』の、
1アヤ、2アヤを暗唱・暗記なさってみてください。
やり方は、『ホツマ縄文日本のたから』(池田 満、展望社)を見て貰うと解かります。
漢字以前の我が国の大文明は、ここが、扉を開く入り口です。

さらに、くわしいく新たな新発見の概念の事は、『よみがえる縄文時代 イサナギ・イサナミのこころ −新発見『ミカサフミ ワカウタのアヤ』アマテルカミが解き明かす−』(池田 満、展望社)で、ご覧下さい。

 

| 日本史 | 17:40 | comments(4) | - |

白内障の眼の修理が、ほぼ、終えました。

目の白内障の修理の事。
ご心配をおかけしてしまいました。
美智子さまよりも、わたくしの症例は、かなりの相当に軽症のレベルでした。
言わば簡単です。でも、もとからの眼が、わたくしの眼はそんなにも上等でないので、
手術後はメガネがどうしても必要です。
そもそも、わたくしの眼には白内障の修理のあとにも乱視と近視が残ります。
さて、このあいだ、行き付けのメガネ屋さんへと、行ってみましたら、
眼科医の処方箋が必要だと。

つっけんどんな、応対でした。

これが、余りにも酷い対応でした。

こんなにも困り果てているのに、そんな!

もう、20年来の付き合いのメガネ屋さんなのに????!!

もう、来ないでね!! って言われたように受け止めざるを得ませんでした。

さてさて、
そう言われても困りましたが、何とか、メガネを作って貰わないと困るので、

何とか、眼科医の先生に処方箋を出してもらいました。
でも、
微妙なメガネの度の合わせのことは、
やっぱり、メガネ屋さんでないとね。

やっぱりメガネ屋さんですよ!!

「読書用メガネ」を、って、言っても、眼科医さんでは、馬耳東風もいいところです。

こまかなところは、どうしても、隔靴掻痒で、どううしようもないです。

やっぱり、感覚としては、意味不明のようでした。
それで、あれこれと、メガネ屋さんは2〜3軒、めぐりました。

そういったことから、メガネ屋さんの贔屓を変えるような事態に至りました。
患者さん・目の視力に不自由な方に、
寄り添って下さいますのが、いつまでも、支持を得ることになるのかと、
そう思いました。

困っている事に、どう? 対応できるのか?
眼科医は、疾病のあるいは眼の病気の治療ですね、ご専門は。
見えにくいのをどうして、補強して、頂いてそれなりに有り難いのか?
それが、メガネ屋さんのこころいきですね。
もう、どうにも、落ち着いているのに、

ところがですね、

大問題でした。
眼科医の処方でないとメガネを作れません、って?
あまりにも、おかしな話だと思います。

2〜3軒目の事で御座いました。
おかげで、良いメガネ屋さんに辿り着きました。

有り難いです。
JINSさんです。

こちらは、検眼のレベルが、一段か?

二段か?? どうにも、違うように、

今日の処、感じました。

あんなにもお若い女性が、テキパキと、レベルの相当の上位の、

的確な対応の事、

もう、他のメガネ屋さんには、行く気がしませんです。

| - | 16:45 | comments(4) | - |

「たす(おさめる・みちびく)」の現代語にフィットする言葉の事。

大東亜戦争の敗戦後の自虐史観に洗脳されてしまってのお方には、
なかなか難しいです。
次の世代、若いナチュラルな感性のお方に期待を寄せるばかりです。
支那思想ならば、治めるって、「強圧的な統治」に同義語です。
ですけれど、わが国の「縄文建国」からの伝統でしたら、
まったく違って、「ヲシヱ(教え)、豊かにする」が、
そもそもの、基本理念です。
現代の皇室のお方々に伝わる精神と同じです。
          ・
漢字の文章に訳すから、China風の感覚が、
強くなってしまいます。
そもそも、
ヲシテ時代の中期までの「たす」って動詞の言葉が、
今現代での「治める」に近いのです。
ですが、その内容は、明らかに大きく違います。
「たす」って、要約していうと「プラス」する。
ってことです。
何かを、プラスさせることが、「たす」と言う意味で、
その「プラス」の寄与度の恩恵に、人々が感謝の思いを感じて、
それで、今で言うと「税金」を差し出したいと思うのですね。
          ・
こういった事が、
「縄文建国」から始まっていた、クニトコタチさんの、
「トのヲシヱ」の原理だったわけです。
さて、
「たす」のヲシテ時代の中期の頃の言葉ですが、
現代語には、すぐには、そぐわしくフィットする言葉が見当たりません。
こういった意味で、直訳は、絶対にダメなんですね。

意味を、大きく取り違えさせてしまいます。

さて、

困難な時期が続きます。

         ・     ・

               

まだまだ大変で御座います。

こういう考えもあります。

https://www.youtube.com/watch?v=DvIfS5N-Vkc

1300年前の、時代も、まあ、同じような事かと思うと、

納得も出来てまいります。

| 日本史・国語 | 17:45 | comments(2) | - |

有村治子さんの、出陣式がユーチューブでUPされていました。

女性宮家問題で、立派な見識をお持ちで、

先般の、「女性宮家」付帯決議に付いて、

唯一、反対投票をした議員さんです。

https://www.youtube.com/watch?v=RXFzluoVNVU

有村はるこさんは、大きなリスクを取っても、

真剣に国家のために尽くして下さいます、おかたです。

http://wosite.jugem.jp/?eid=50

        ・

ー追記ー

ちょっと、おもしろい、説明を見つけました。

https://www.youtube.com/watch?v=pWp_UlGLzpw

『ホツマツタヱを読み解く』でも、

この感覚は、盛り込み説明しました。

「トのヲシヱ」の成立の、必須の前提条件です。

時代でもそうですね。常に、グルグル変わるのが、現実で、世界です。 

 

| 歴史から長寿・健康まで | 14:42 | comments(0) | - |

『ホツマツタヱ』1アヤの4回目。東西南北の「キツ」の名称。アマテルカミのご長寿の事。

さて、捨て子にされたワカヒメさん。
まだ、ワカヒメさんの称号は得ていない、時の事です。

ですので、ワカヒメさんじゃなくて、ヒルコヒメと呼びましょう。
5歳ごろの幼児(おさなご)のヒルコヒメ(ワカヒメ)の頃の話でした。
ヒルコさんは、お昼に産まれたからって、「ヒルコヒメ」。
そう言う、簡単な理由の命名であったと、
『ミカサフミ』(ミ1-13(10890))に記載が有りました。

この記述は『ミカサフミ』だけにありました。

元気に、拾い子で育っていった、ヒルコヒメ(ワカヒメ)。
5歳のフユ(冬)11月(現在の太陽暦では12月の下旬)に、正装をして、
「アワウタ」を習い始めました。


今の現代にもある「七五三」の行事。実は古くからある行事がその元だったのです。

現代にも、良き古き風習の名残りは残っていたのでした。
そもそもの、漢字渡来以前の時代、
縄文時代や、弥生時代には、5歳のフユ(冬)は、「アワウタ」の学び初めの儀式だったのです。
ヲシテ時代の中期の習わしです。
「七五三」の元は、飴じゃなくって、勉強初(ぞ)めの行事だったのですね。
おどろきますね。今の感覚よりも、もっと文化度が高い!
子供を寄せるだけの飴だけじゃあね。 なんともはや、なさけない。
でも、「千歳飴」の千歳の長生きには、伝統が残っているのが、不思議です。
そうです、
わが国は、「縄文建国」の始まりから、文化立国だったのでした。
それで、世界でも類を見ない文明国になっていったのです。
漢字渡来以降の改竄された歴史を見てみても、
ゆうに2000年近くの営々たる歴史が有ります。
これだけでも、世界でほかに比べるところも無いです。
このことに付け加えて、さらに、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」での、
あらたな発掘再現によって、さらに、4000年近くもの、
わが国の連綿たる統一国家としての歴史が、
ここに、判明しました。
『定本ホツマツタヱ』において、『古事記』『日本書紀』との照合を終えましたので、
記紀原書としての位置付けを証明できています。
解説書には『ホツマツタヱを読み解く』をお勧めいたします。
わかりやすく、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の根拠を示してあります。

そうそう、
捨て子にされたヒルコヒメ(のちのワカヒメ)は、
5歳の冬に、「アワウタ」を習い始めました。

 

  あかはなま いきひにみうく
  ふぬむえけ へねめおこほの
  もとろそよ をてれせ Ye つる
  すゆんちり し Yi たらさやわ

 

覚えてしまえば簡単です。ですが、5歳の子には、ふつうは、
何回も何回も歌いながらの指導が必要です。
さて、
ヒルコヒメ、頭の巡りが良かったようでした。
簡単に、「アワウタ」の48音韻も覚えちゃうのでした。
さらに、他の事にも興味が湧いてくる利発な女の子でした。
さすが、血は争えないと言う事なのかも知れません。
お父様のイサナギさまは、ネのクニで功績をあげられたアワナギさまのご子息。
お母さまのイサナミさまは、東北のヒタカミで功績をあげられたトヨケカミの愛娘(まなむすめ)。
人々の生活を豊かにする、際立った遺伝子と言いますかお気持ちや能力が、
何かの形で受け継がれてきているのであろうか?
そんな思いも、ヒルコヒメ(のちのワカヒメ)の養育係を引き受けたカナサキさんの胸にも、
あれこれと、去来するものが有りました。
           ・
さて、ヒルコヒメさん。
可愛かったでしょうね、5歳(満4歳)の、すずやかな透き通ったお声です。
育ての親となったカナサキさんに、いろいろと、質問をするようになります。


そのうちに、「キツサネ」って何ですか?
「ヒガシ」や「ニシ」の言葉との違いは何ですか?
と、ヒルコヒメは聞いてくるのでした。
カナサキさんも、出来るだけ正確にお答えをしたい。
と、思うのです。それは、ヒルコヒメさん、
次代のアマカミ(古代の天皇陛下)にご即位をあそばすはずの、
イサナギさんとイサナミさんの、ご長女であらせられます。
至って高貴なお生まれのお方様です。仇や適当な話ではいけません。
カナサキさんは、いつもいつも、ヒルコヒメさまには、
間違いはあってはならないと襟を正して、
神経を、気を使ってのご養育に努めていたのでした。
        ・      ・
ヒルコヒメ(のちのワカヒメ)さんの、
その質問は、
「キツサネ」って何ですか?
「ヒガシ」や「ニシ」などの言葉との違いは何ですか? です。
あれ?
「キツサネ」ってなに?
と、思われる読者も多いでしょう。
「東西南北」のことの、
古語の別の呼び名です。今でも、「ネ」の「北」だけは現代語に残っています。
その他に、短い呼び名の古語が有ったのです。
方角の名称で、
三音もあるのは、使いつらいです。言葉の出来始めた当時には。縄文時代の前期頃です。
「ヒカシ」って長い言葉です。
もっと、古い時代には、単音の「キ」ッて、短い方角の呼び名があってこそ、
実用的だと、そう、今にして考えて、わたくしは納得できます。

「東」は、「キ」。
「西」は、「ツ」。
「南」は、「サ」。
そして、現代語にも、奇跡的にも不思議に残った、
「北」の「ネ」。
キツサネの古語の話です。
さて、
私(池田 満)は、『万葉集』(3327番)に、
「東」は、「キ」。
「西」は、「ツ」。
の用例を見つました。すごいですね、やっぱり残っていたんだ! 『万葉集』に!!
『ホツマ辞典』の「キツサネ」の項目に記載しました。
あと残るは、「南」が「サ」。の、この用例を見つければ、
漢字文献の時代にまで、「キツサネ」の言葉は残っていた!
って、言えますね。
そうそう、あの時代でも、ヒルコヒメさんも、
「キツサネ」の「東西南北」の言葉の意味が分からなかったのですね。
ヒルコヒメさんの時代は、縄文時代も終わろうかとする頃です。
少なく見積もっても、「縄文建国」から3000年の時を経て来ていました。
言葉が変化してきて当たり前です。
             ・
質問を受けたカナサキさん。
どう言って説明したらわかりやすいのかって、
悩みました。
けっこうな古語なんですね、その当時のヲシテ時代の中期でも、
「キツサネ」の用語は。ヲシテ時代の草期か、
初期の頃に出来ていた言葉でしょうか?
だって、当時から3000年前の文明の初期には、
言葉も未分化期ですから、長音韻の言葉も少ないはずです。
単音か、複音、1音か2音かの、
そう言った言葉が基本主流を占めるはずだと、わたくしは、推察します。
さて、どうでしょうか? この推察は、まあまあ、ご納得頂けますかどうか?

もう、古語の仲間入りしてきつつある「キツサネ」の言葉の意味の理解が、
ワカヒメ(のちのワカヒメ)さんにも、解かり辛かったわけでしょう。
なんで、「キ」というよりも「ヒカシ」の方が解かりやすいのに。
なんで、「ツ」というよりも「ニシ」の方が解かりやすいのに。
なんで、「サ」というよりも「ミナミ」の方が解かりやすいのに。
なんで、「ネ」というよりも「キタ」の方が解かりやすいのに。
どうして?
分かりにくい一音の方角名があるの?
そりゃ、今にして思えば、わたくしだって、疑問です。
説明しなくちゃいけない、カナサキさんは、ヒルコヒメに、説き始めます。
ウタの名人であったカナサキさんならではです。
さすがの、カナサキさんです。高地高所からの視点です。
       ∽     ∞     ∞
日のいつる(出る)、初めのカシラ(あたま・頭)は、
「ヒカシラ」の意味から「ヒカシ」と言います。
また、日がタケ昇って至る正中の時は、いつも、真南を指します。
フユでもナツでも、いつの季節でも、正中の真昼の日の陰は、
ミナミを指します。「ミ(実)」に成りくるちからをいつも与え恵んできているのですね。
それで、「ミナミ」(実になりくるナミ・成ってくる及ぼしもの)と言うのです。
ニシは、夕日に沈む赤さを言います。「ニシ」とは、「ニ(煮える・赤・物質化・なごみ)」の、
イメージに成りつつの終息を言います。ある意味、穏やかさです。
どうですか?
「ヒカシ」「ミナミ」「ニシ」の、
大まかなイメージは解かりましたでしょうか?
この感覚は、解かりやすい事と思います。
              ・
さて、
もっと他にも、
階層の違うイメージが有ります。
これは、少し後の時代に出来て来た言葉です。
お米と、水を、カマに入れて炊き上げるとき、
この時にも、「ヒカシ」「ミナミ」「ニシ」の言葉の意味が現われ出ています。
おカマに入れて炊く時に、「はじめちょろちょろ、なかパッパ」
煮え初めは、おだやかに加熱します。
つまりは、「火の始まり」の、「火・かしら(かしら)」の意味です。
「ひがしら」で「ヒガシ」と言います。
「ニ」を得るとハナが立って来ます。お米の「み(実)」に温かさの「ナミ(波)」の
「ニ」が入ってゆきます。それで、「ミナミ」と言います。
そして、「ニ」を充分に得ると、煮え花が落ちついてきます。煮え沈むとも言います。
「ニ(煮)」が「シ(為す)」を充分に「ツム(積む)」わけですから「ニシ」になるのです。
こうして、日のエネルギーの「ニ」を人々は食物によって得ることが出来ます。
このサイクルは、「ヱカ」とも言います。「ニ」と「カ」とは、良く似た意味を持つ言葉です。
お日さまのエネルギーを「カ」と言います。
お日さまのエネルギーを集めたものが「ニ」の言葉であるからです。
こうして「ヱ・カ(エネルギーを得る)」のです。
ところが、エネルギーを得過ぎると短命になります。
イノチのアフラ(油)が早く燃えてしまうからです。
そのために、ご長寿をめざされておられるアマテルカミは、
月にひとたびだけ、ミケ(お米食)をお召し上がりになられておられます。
その、ご長寿を求められるおこころは、すべて、国民の幸せのためなのです。
有り難い事です。
大昔には、月に二度のミケ(お米食)の時代が有りました。この時には、国民は、とても長寿でした。
そのあと、月に三度のミケ(お米食)の時代になりますした。そうすると、モヨロ(100万年)の寿命に成りました。
さらに、月に六度のミケ(お米食)の時代になりますと、フソヨロ(20万年)の寿命に成りました。
そして、しょっちゅうミケ(お米食)の食事が重なる今になると、
たったフヨロ(2万年)の寿命に成ってしまっています。
この事からすると、ミケ(お米食)が重なることが寿命を縮める原因であると、
アマテルカミはお考えであられるようです。
アマテルカミは、月にひとたびだけのミケ(お米食)となさっておられるのです。
そして、ニガナ(苦い菜)のチヨミクサを常食になられておられます。
有り難い事です。すべて、国民の幸せのためなのです。
アマテルカミがご長寿を求められる、その、おこころのあり所は。
               ・
と、
カナサキさんは、ヒルコヒメ(のちのワカヒメ)に、
語られるのです。
この、日本人ならジーンとくる感動の話は、
『古事記』にも『日本書紀』にも、
まったくの一行だって、書かれてはいません。
どう言う事情が有ったのかは良く解かりませんが、
事実がここみに明白です。『古事記』にも『日本書紀』にも一切書かれていやしないと言う事です。

『定本ホツマツタヱ』をご覧ください。

『古事記』『日本書紀』との、同内容のところを、

3段に区分けして対比表記しました。
『古事記』は、ヘンな下ネタばかりの独自記事が目立ちます。
まずは、その事にお気付き下さりたいと願います。
だって、おかしいんですもん。そんな、『古事記』みたいな下ネタの展開は。

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『ホツマ ツタヱ』の1アヤ、3回目。「アワウタ」のこと。「イクラ・ムワタ」のこと、五臓六腑は誤訳と言う事。

『ホツマ ツタヱ』の
1アヤの解説を、くわしく始めています。
前回の、2回目までで、ワカヒメさん(ヒルコヒメ)が捨て子にされた、
成り行きがお解り頂けたでしょう。
そうなのです。高貴なお産まれなのに、
捨て子にされたのでした。


         <網戸の中に、迷い込んだカミキリムシ。キボシカミキリ。

          クワの強敵の害虫でした。

          知っていたら、捕獲していたんですが> 

そして、育ての親にと委ねられたのが、カナサキさんの夫婦でした。


 

 

カナサキさんは、スミヨロシともスミヨシとも、のちに、褒め名を賜ります。
カナサキさんは、大阪の住吉大社にゆかりの深いお方です。ホ1−7、スミヱのヲキナ、

そう、今の住吉大社のところを「スミヱ」と言っていたのです。

そして、カナサキさんは、ナカクニのクニカミです。
カナサキさんの拠点は、住吉大社の他に、現、兵庫県の広田神社や西宮神社のところも、
重要な場所として港も持っていました。今は、大阪府と兵庫県に別けられてしまいましたが、
古くは、摂津の国としてひとつの纏まった地域でした。また、奈良県もナカクニに含まれていました。

ヲシテ時代の中期の頃です。ヲシテ時代も、年代がとても長いので、

『ホツマ辞典』を、ご参照ください。


春日の杜は、この当時には「ヲキナがモリ」(ホ8-96(1531))と呼ばれていて、
カナサキさんの差配の元にありました。そして、「カスガ」と、アマテルカミからの命名が、

なされます。「春日」を、どうして? 「かすが」と読むのか?

じつは、深い理由が有りました。やがて、8アヤの解説の時に、くわしく、ご説明します。


さて、
そんな立派なカナサキさんに養育が任された、ワカヒメさん。
どういう、育て方になったのでしょうか?
そうそう、まだ、お若い時には「ワカヒメ」さんとは呼ばれていませんでした。
後に、ウタで功績を立てられたから、「ワカヒメ」さんと呼ばれます。
それまでは「ヒルコ」さんですね、呼び名は。
「ヒルコ」さまは、お昼に産まれたので、こう名付けられたわけでした。

この箇所は、『ミカサフミ』にだけ記されていました。(ミ1-13(10890))


成人なさるまでは「ヒルコヒメ」さんとお呼びしてまいりましょう。
               ・
ヒルコヒメは、3歳になる以前に、
カナサキさんとヱシナツさんの夫婦に引き取られました。(ホ3-5(376)、ミ3-5(11090))

『定本ホツマツタヱ』を、掲げます。

(ここでも、『古事記』『日本書紀』ともに、

酷い貶め記事を書き加えています。さも、進駐軍のペンキ塗りですね。

えげつないったら、ありゃしないですね。

『日本書紀』は、「三歳まで、足立たず」ですって、

よくもまあ、ひどい、貶め記事を、捏造!

現代での、何処かの新聞にも似ていますね。

インチキを書き加えての、貶めを目的とする、誤訳です。大誤訳のおとしめですね。ひどいです。

昔に書かれて残っちゃっている物を、どう処理するのか?

廃刊運動も、現代では有効ですが、

記紀のインチキ性に、どうやって、はぎ取れるかですね、そのインチキ性を。

大きな仕事です。どうか、皆さま、すばらしく能力のおありのお方様、

参画のほどをお願い申し上げます。  

どうでしょうか?

『古事記』も、『日本書紀』も、またまた、大切な記述を、ごそっと翻訳削除してしまっていますね。

いつもの事で御座いますが、

バシッと、決めるべき時もあると思います。

その時に向かって、用意を、これ真面目に勤めてまいります。

進駐軍の去ったからには、ペンキをはがさずんばなるまい、

と、わたくしは、思いますからで御座います。

そして、『古事記』は、いつものお約束の通り、ほとんどの記事をズバッと、

ちょん切って知らぬ顔。

なお、『ホツマツタヱ』原文の左の点線の表示は、

『ミカサフミ』に記載有りのしるしです。つまり、いわゆる同文個所。

同文個所とは、先行文献からの引用個所の意味に同じです。

『ホツマツタヱ』や『ミカサフミ』の成立には、引用するべきの、

『ミソギのフミ』とか、『ミミのハ』とか、

多くの、先行文献が有りました)

まだ、赤ん坊に近い時には、
カナサキさんの妻のヱシナツさんの、乳を得ます。
そして、あやす「あわうわ」とか、「ちょちちょち」の手打ちとか、
「シホの目」で赤ん坊をあやします。
さて、生まれ日のお誕生日には、「カシミケ」の行事です。
おチチから、流動食への変更がはかられます。もう、赤ん坊からの卒業です。
そして「タチマヒ」の歩き初めをします。
3歳のフユには「カミオキ」の行事です。髪の毛を、切ったり揃えたりする行事です。
幼児へのステップアップです。
3歳の髪置き(かみおき)の儀は、江戸時代にまでずっと続けられていました。
さて、幼児にもなった3歳からは、
お正月のハツヒ(元旦)には、大人に交じって、「あわ」のうやまひを行います。
いよいよ、年中行事に参加をするデビューです。
年中行事の、主なものは、5つつあります。
1月1日、「アワのうやまひ」
3月3日、「モモにヒナのまつり」
5月5日、「アヤメにチマキのまつり」
7月7日、「タナハタのまつり」
9月9日、「キククリ(菊・栗)のいわい」
それぞれが、季節の変化に対応して感謝をするお祭りです。
天地自然の恵みに感謝をするわけです。

アニミズムやオカルトの要素は、ここには有りません。純粋な「縄文哲学」だったのです。
3歳と、4歳の時に、もう、年中行事の主要5種のことは、理解が出来ます。
そうしましたら、次には、「ことは(言葉)」の習得に向かいます。
5歳のフユには、正装をして「アワウタ」の勉強始めの儀式をおこないます。
ヲの男の子だったらハカマです。
メの女の子だったらカツキです。
カツキは担ぎ着の意味です。
「アワウタ」の、
あかはなま いきひにみうく
ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせ Ye つる
すゆんちり し Yi たらさやわ


48音図を、常に教えて暗唱も暗記も出来るようにします。
そうしますと、5母音の規則性が解かります。

10の子音の成り立ちも判ります。
さて、動詞の活用にも理解が及びます。
発音の際の、口の開き方も良く解かって来ます。
そのうちには、5母音も哲学要素からなりったっている事も解かって来ます。
また、10の子音にも哲学的理解が深く関連している事も解かって来ます。
「アワウタ」の48音図は、国語の基礎でしたから、5歳の学び始めに常に教えることになされていました。
この「アワのウタ」を、教える際に、覚えやすく楽しくなるように、
音楽にも載せて教えて歌います。
「カタ」の打楽器を掻き打ちまして、コト(琴)を弾いて、
「アワのウタ」を歌います。
そうしますと、おのずから、コヱ(声)も明らかになって来ます。
もちろん、国語のミチも明らかになるわけです。
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字で読み書きするから、
子音の10個の関連性も解かります。
母音の5つつの、発音の時の口(くち)の形状にも合っている事も、ガッテンできます。
どうでしょうか、
そうしましたら、ヰクラ(こころ)も、ムワタ(身体)も、巡りも良くなります。
つまり健康になるわけです。

後の世には、「七五三」の風習にも変化してくる元でもありました。

でも、本当は、「縄文哲学」に裏打ちされた行事だったのでした。

            ・

そうなのですね。

考えてみてくださいますでしょうか?
世界もヒトも、目で見える世界と、目で見えない世界の、
ふたつが合わさって出来ています。
例えば、声は、耳では聞こえても、目では見えません、手でも触れません。
つまりは、この世とは、ふたつの世界の合体だったのです。

わたくしたち、「ヒト」も。
ヰクラとは、目に見えないモノの象徴です。
ムクラとは、目に見えるモノになった場合です。
ヰクラというのは、大雑把い言うと「こころ」にあたります。
ムクラと言うのは、内臓器であったりする人体の中枢にあたります。何がひとつ欠けても、生命が絶たれるものです。
ヰクラとムクラが中心になってヒト足り得ます。
そこに、手足や目鼻などが寄り添って、一個の人体になります。
ですね、そうなんですね。

哲学的な大理解が、ここに有ったのです。

それで、わたくしは「縄文哲学」だと、命名してきております。
そこで、これほどの、

大きな哲学的な理解のモノを、現代漢字直訳にすると、この、哲学的な理解を、
すっ飛ばしてしまいます。
五臓六腑に直訳すると、五臓も六腑も、内臓器です。
あれ?
わが国の、漢字以前の哲学だった「こころ」のヰクラが、
消されちゃいましたですね。
これが、わが国の哲学を消し去る「売国」の行為です。

直訳の劣化のパターンです。

どうしてでしょうか? どうして、こうなってしまうのか? ひどい劣化のコピーに、と。

良く考えてみますと、
ヰクラの「こころ」とは、
1、こころは
2、みやひ
3、たま
4、しゐ
5、しむ
の5つつです。
1、こころは、とは、現代語での良心。
2、みやひ、とは、現代語での意識や他人を思いやる気持ち。
3、たま、とは、現代語での本心。
4、しゐ、とは、現代語での生命維持の欲求。
5、しむ、とは、現代語での外に及ぼす欲求。
この5つつは、
まさに、「こころ」のはたらきそのものですね。
この、哲学的な理解を、
「五臓」だなんて、「肺・心・肝・脾・腎」の漢字に直訳したら、
どう見ても誤訳です。そして、おとしめの「売国」的な行為なのですね。

くわしくは『ホツマ辞典』を、ご覧下さい。

ヰクラの用例を掲げます。ムクラとも言う用例もあります。

誰だって、目に見えるモノは解かりやすいです。

でも、目には見えなくても「こころ」って、やっぱりありますよね。

この違いの事なのでした。

「縄文哲学」の本筋が見えて来ていないと、

直訳も良いんじゃない? って、お花畑になっての満開の状況ですね。

GHQの思う壺。Chinaの思う壺。それは、商売にはなるかも?

でも、クニを売る行為ですよね。知ってか知らずかでも。

苔むした、日本的感覚での至っての「美」に、

時給1000円で、そこにペンキを塗れって言われて、

その仕事を、受けるのかどうか?

わたくしは、絶対に、そんな仕事は引き受けはしませんね。
             ・
「アワウタ」を歌うとどうして健康になるか?
その答えのキーポイントが、
世界もヒトも、目で見える世界と、目で見えない世界の、
ふたつが合わさって出来ているからです。
コヱ(声)は、目に見えない世界のモノです。
「アワウタ」のコヱ(声)は、ヒトの見えない世界のモノで出来ている「こころ」に、
作用します。すなわち「ヰクラ」にひびくのです。それは、同じ世界のモノだからです。
そして、結い上がっている人体のもう一つの世界のモノの、目に見える世界のモノにも反映するのです。
だから、巡りも良くなって、病知らずに長生きが出来るのです。
哲学的な理知的な理解です。これが「縄文哲学」たる由縁(ゆえん)でもあります。

ここが、最大の重要事項です。

『古事記』的な神様祭りのその、イワシの頭を探したいのなら、ちょっと違うと思います。

「縄文哲学」なら、明日にどう生きゆくか?

それがテーマです。モニュモニュの神憑りではありませんです。

大きな違いが、ここです。

神懸かりは、ヲシテ時代の末期の頃から、

段々と表にも出てくるようになりました。そもそもは、下々の人々の恐怖心に、

お商売するような感じ。それが、「神がかり」の位置関係であると、わたくしは考えております。今も昔も、お商売は、賑やかで御座います。それも、楽しいと、わたくしは思います。

 

| - | 09:14 | comments(2) | - |

『ホツマツタヱ』の1アヤの、第2回目のお話しです。「ヒロタ」や「カナサキ」、広田神社、西宮神社、住吉大社、射水神社などに関連して。

『ホツマ ツタヱ』に、ヒロタと言う地名が出てまいります。

現代でいいますと、広田神社や西宮神社が「ヒロタ」に相当します。

キリの実.jpg

                <キリの実です>

「ニシノミヤ」「ニシトノ」また「ヒロタ」も、少し広い意味での、

共通の呼び名でした。

このみっつ、「ニシノミヤ」とか「ニシトノ」とか「ヒロタ」も、含めて、

まあまあ、現在の広田神社や西宮神社の当たりがその地域であると、

そう思ってもらうのが、一番に、適切なようです。

さてさて、もっと、くわしくとも、

言われてしまいます。

ですが、この話も、簡単にでもですが、話し出すと、長い話になってしまいます。

出来れば、もうちょっと、詳しくって思うと、

更に大変です。

わが大文明のすごさを、あらためて想います。
1アヤの始まりの2行目です。


「ヒロタ」のこの用例は、「検索」のリストでのホ1-1(100)にあたります。
『ホツマ ツタヱ』の1アヤの1ページ目(通算行の100行目)を意味します。
その他のところを探しますと「ヒロタ」の用例は4例あります。
ホ3-5(378)
ホ28-44(7249)
ミ1-14(10897)
ミ3-5(11092)
いずれも、地名の「ヒロタ」です。また、拾い子の意味での「拾う」の「ひろた」も、
掛け言葉にもなり、地名の語源でもあるようです。
つまり、アマテルカミの実の姉君であったヒルコヒメが、捨て子にされて、
拾い子として育てられるのがこの土地だったのでした。
とても、重要な土地ですね。

麦刈り.jpg
             <ムギ刈りが終わりました>

父母のイサナギさまと、イサナミさまが、アメのフシ(現代に言う厄年)に、
当たっていたために、他の人に育てて貰う習わしがあったためです。

この事の詳しい事情が良く解かるのが『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』の、

共に、3アヤの5ページ目になります。はじめに、『ホツマツタヱ』の用例です。


次に、『ミカサフミ』の用例です。

見比べてみてください、ほとんど一緒ですね。

そうなのです、『ホツマツタヱ』と、『ミカサフミ』、

先行文献からの引用文も多いのです。

その、先行文献からの引用個所は、そうです、ほとんど一緒。

当たり前の事でした。

『ホツマ ツタヱ』でも、『ミカサフミ』でも、

さらに重要な『カクのミハタ(『フトマニ』など)』でも、

ヲシテ文献には、歴史的な重なり合いの重層の関係があるのです。

当然のことです。

でも、この箇所にも、『古事記』『日本書紀』は、

ものすごいインチキの訳をしているのでした。

ひどいものです。『古事記』『日本書紀』との、

記述の内容においての対比比較をした、『定本ホツマツタヱ』を、

掲げます。なお、『日本書紀』の一書に曰くにもある箇所には、

煩雑に過ぎますので、ここには掲示いたしません。

お茶にクモ.jpg

          <ナツの情景の、お茶にクモの巣です>

どうぞ、もっとくわしくと思われますお方様、

『定本ホツマツタヱ』を、ご覧願います。

『ホツマツタヱ』の原文の左の点線箇所は、『ミカサフミ』と同文個所です。

また、頭注には、写本の文字違いを掲げています。

 

 

『ホツマツタヱ』3アヤの3ページ目、「ヒロタ」も「ニシトノ」も、

『古事記』『日本書紀』の漢訳文には、スパッと、

翻訳の削除がされていました!

 

これは、どう見ても、ひどい話です。えげつない話です。

ちょっと前までの、マスコミの横暴さにもあるいは似ていませんでしょうか?

「わたくしたちが、正義です」って、第三勢力の権力を振りかざして、

一般の善良な国民を、たぶらかすのですね。

私なんかも、何十年来にもたぶらかされてきていたわけでした。ひどい話で御座います。

また、さらには、もっと以前にも、

おおよそ1300年前ごろには、

こういった、 

漢字や漢文に拠ってのたぶらかしで、わが国の貴さの乗っ取りを謀った人達、

具体的には、

当時にも跋扈したあやしげな帰化人たちや、

わが国の根っからの人達でも貴い歴史をうっぱらう売国奴のような人達。

このひどい増悪の時代、その状況を、今にして、くやしいと思うのは、私だけでしょうか?

 

どれほどにも、隠蔽して隠そう隠そうと陰謀をめぐらしても、

所詮、陰謀のバレてくる時も、いずれは訪れます。

わが国の本体の「国体」、つまりは、

「トのヲシヱ」や「トのヲシテ」に拠って建国された、

わが国の「縄文建国」の「トコヨクニ」です。

(「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」の人達は、「常世国」って、直訳の当て漢字を振りますが、大間違いの大誤訳です。幾らなんでも、この大間違いだけは言及せねばなりません。「常世」の漢字の意味には、「あのよ(死後の世界)」の意味が強く摺り込まれています。でも、漢字以前のヲシテの時代には、生まれ変わってくるのが楽しみなのですね。まったく違う世界観です。単純な、現代用語の漢字の言葉にコピペすると、おかしげなChinaの思想にとまみれさせる、その意図がありや無しやと、わたくしの目には疑いの強烈なまなざしです)

わが国の、漢字以前の大文明の事、

縄文土器の素晴らしさもそうですね、それらが、あまりにも素晴らしいからですね。

どうやって覆い隠そうとしても、ダイヤモンドのきらめきは、

そこここに、その光が輝き出ます。

やっぱり、わが大文明って、すばらしい!!

ところがですね、近隣のネタミの人達は、噛んで来るのですね。困った事で御座います。

ひどいことに、

かの連中たちの陰謀などによって、 

『古事記』『日本書紀』にと秘めさせた、

漢字のたぶらかしで、わが国の乗っ取りを謀った人達、

当時の帰化人たちや、わが国の貴い歴史をうっぱらう人達の、

その謀略は、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の出現と現代研究の成果から、

漸く、いまに、馬脚を現すことになりました。

『定本ホツマツタヱ』を、見れば、まさに一目瞭然になります。

         ・     ・
さてさて、

7代目のアマカミのイサナギさまとイサナギさまの、

乳飲み子の事に話を戻しましょう。
捨て子にして、どなたに育てて頂くのでしょうか?
それなりに、教養も高いお方でないと躊躇されます。
それが、嬰児を亡くして意気消沈のカナサキさん夫婦がいました。
カナサキさんとヱシナツさんの夫婦は、
ナカクニ(現代で言うと、大阪府と奈良県を中心とする)の、
クニカミ(現代でいうと、県知事のようなもの)でした。
そして、ウタも達人!

平安時代の、わが国風の復興期になりますと、

歌会が住吉社にも、広田社にも、ゆかりがあるから、

そこで催されます。

『群書類従』に出ている歌会のリストを、掲げます。


ヒルコヒメさまは、7代目のアマカミのイサナギさまとイサナギさまの、
お子様ですから、ヒメミコ(皇女)さまです。
カナサキさん達だったら、ヒメミコの養育は適任だと言う事になりました。
さて、カナサキさん、後には、アマテルカミから褒め名を下賜されます。
カナサキさんの、褒め名はスミヨロシまた少し短くスミヨシと言います。
そうです、現在の住吉大社に根拠地を持っておられたのでした。
往古の時代の住吉大社の社頭、カナサキさんの時代は、
白砂青松で平安時代の和歌に詠まれたような風情であったでしょう。
今現代は、社叢の前を路面電車が走るように、風景も一変しています。


カナサキさん、は、先祖からの蓄積があって、
造船や水運などの航海の技術にも秀でていました。
ナカクニのマツリゴトの運営に、住吉大社の処も、重要拠点です。ここは、
後には、中世での堺の繁栄にもつながります。

また、ここだけでは充分でなくて、
ニシノミヤも、もうひとつの重要な拠点でした。
当時のニシノミヤは、入り江が、浜名湖のように、広田神社の近くにまで入り組んでいて、
天然の良港だったです。
現在の西宮神社は、中世でも、浜の南の宮の扱いになっていました。

入り江の入り口に位置するおミヤです。

主には、ワカヒメさまは、浜のミヤでお育ちになられておられたのでしょう。

と、わたくしは、想像しています。 

それで、「アワのウタ」の新作歌曲の歌詞には、

3番のところで、

「にしのみや 浜辺に遊ぶ

 朝夕に 声もすずやか

 ワカヒメは ひとり育ちで」

と、いたしました。

『ホツマ縄文日本のたから』(展望社、池田満)に録音CDもセットして発売しています。

もう、おかげさまで、5刷りにも成りました。

裕福になるかと思いきや、

そうは、簡単に問屋が卸してはくれません。

少しずつの、資金の還流だけですので、わたくしは、いつも金銭的には苦しいので御座います。

誠実さが、なによりも大切だと思います。

ようするに、広田神社と西宮神社とは、中世にてもそうでしたし、

元から、ヲシテ時代にもセットの神社だったのです。

『ホツマ縄文日本のたから』(展望社、池田満)には、音符も掲示しています。

どうぞ、ピアノなど弾く技術のおありの方、楽しくお歌いください。


「アワのウタ」の新歌曲は良いので、

『ホツマで読むヤマトタケ物語』(池田満、展望社)にも、

ゆったりのメトロノームのテンポにして、再録音しています。

さて?? さて?

どちらが、お好みであられましょうか?

「アワウタ」にも、前に、説明の言葉書きが有った方が、

将来的にはなじんでも来るのか、と思います。情況の説明歌詞があってこそ、

ワカヒメ(ヒルコヒメ)さまのお気持ちもわかって来ますから。 

             ・
広田神社でも、西宮神社でも、逆さ門松が飾られます。


え? って、思いますよね。
逆さにするのは、お迎えじゃなくて、忌避の意思の提示です。
逆さ門松を飾るのは「居籠り(い こもり)」のお祭りの時に、
つまり、引き籠りみたいな、門を堅く閉ざしての「居籠り」をやるのでした。
神事で、「居籠る」だなんて、ヘンなことです。
それが、なるほどと解かる、『ホツマツタヱ』の記述があります。
それが、『ホツマツタヱ』7アヤに出ていました。

荒れていた、ソサノヲ(スサノヲ)が来るのを、
姉のワカヒメ(ヒルコヒメ)さんは、警戒をしたのですね。
女性の細腕に、威脅しの武具を装着して、
ソサノヲの来るのを待ち構えたわけです。
そうしたら、ソサノヲは、「そんな怖がらないでください」って言うんです。
ワカヒメさん(ヒルコヒメ)が疑っていたら、怖がらないでくださいって、

「わたくしのこころは、本当は、清いのです」って言うんですね。
なにを、今更、ぬけぬけと言うか?! (だまされはしませんよ!)
と、腹に据えかねるワカヒメさんです。
なにしろ、ソサノヲは、ひどい重罪を犯していたのでした。

死罪を一等まぬがれた、その事態です。

それは、すごいツミでした。
アマテルカミのおキサキさんのおひとかたの、ハナコさまを、
事故死させてしまったり、アマテルカミのお諭しに反発をして逆切れして暴れるのです。
さらに、もっと言えば、以前には、母上のイサナミさまの事故死にも、
ソサノヲのいたずらの非道さが、イサナミさまの横死の直接の原因にもなっていたのでした。

さすがに、今回に至っては、
ハナコさまへの、傷害致死の罪で、もう、ソサノヲは死罪と、確定の判決が出ていたのです。
そこを、ハナコさまの姉のホノコさまからの助命嘆願の願いがあったので、
ようやくに罪一等が軽減されて、クニハライ(流罪)になったばかりでした。

そして、姉に一目会いたいから、と、

クニハライ(流罪)の刑の執行の寸前に、会いに来るんですね。
ワカヒメさんが警戒するのは、当たり前に当然です。
若い時には、あんなにソサノヲを可愛がっていたのに、と、ワカヒメさんが思われるのは、

今にも、情景が目の前になるようです。
そこには、ソサノヲも、姉にひとたび会ってから、流罪になって流離うことにしたいと、
その思いがあったのです。マザコンというか、アネコンがソサノヲの気持ちだったようです。

           ・      ・

ところが、姉のところに来ると、もう、ヒルコヒメさんから、
威脅しの武具を装着しての、断固たる拒絶の様相でした。

この事態をうけた、さすがのアネコンのソサノヲも寄り付くシマを失ってしまったのでした。
というのが、『ホツマツタヱ』の7アヤのソサノヲと、ワカヒメさんの話でした。
この、ワカヒメさまの威脅しの武具を装着しての威嚇の話だと、

広田神社や西宮神社での、
「逆さ門松」を立てての「居籠り」の祭りが、納得されます。
すなわち、
広田神社や西宮神社(かつて中世には、浜の南の宮)で、
正月の行事に、居籠りをするのです。それは、ソサノヲが来るからなのです。
警戒をして、逆さ門松をくっ付けて、来ないで! って言う意思表示なのですね。
そして、スゴスゴと尻尾を巻いて帰って行ったソサノヲの後姿を見て、
人々が、ホッとして参宮する訳です。それが、10日エビスのお祭りの開門の福男選びの、
あの、ダッシュのイベントのお祭りの元だったわけです。
そりゃ、ワカヒメさんもホッと一安心をなさったことでしょう。

納得できますね。この経緯の成り行きを写したとなると、

「逆さ門松」も、腑に落ちてわかります。

さらには、
そのゆかりに、もっと肉付けを出来るのが、
『ホツマツタヱ』28アヤにある「ヒロタ」の用例の記事です。
ホ28-44(7249)です。


アマテルカミのご遺勅に、「ヒロタ」が語られます。

重大な記述が、『ホツマツタヱ』の28アヤにありました。

アマテルカミの、とうとい、ご遺勅であらせられます。
それは、アマカミ(古代の天皇陛下)の伝統としての、
国民の幸せを願って下さいます、とうといお気持ちからでした。

アマテルカミが、崩御されますことに、
臨まれました際に、後の事を頼まれますのです。

すばらしい、わが国の、本当の美風のきわみです。

さて、

アマテルカミ。
ひとつには、サルタヒコに、カンタカラを委ねられてのご依頼がありました。
もうひとつが、「ヒロタ」でのお祭りです。
キサキのムカツヒメ(ホノコさま)と、
ワカヒメ(ヒルコヒメ)とに、
「ヒロタ」にて「ヰこころ」を護るべし。
と、アマテルカミが委ねられましたのが、『ホツマツタヱ』28アヤの上掲の記事でした。

(「ヰこころ」の言葉は、本当は「ニこころ」であったろうか?

と、推考できるのが『ミカサフミ ワカウタのアヤ』です。

平成24年に新発見のアヤです。

くわしくは、『よみがえる縄文時代 イサナギ・イサナミのこころ −新発見『ミカサフミ ワカウタのアヤ』アマテルカミが解き明かす−』展望社 池田満 編著にて、ご覧ください)
でも、良く考えましたら、キサキのムカツヒメ(ホノコさま)も、ワカヒメ(ヒルコヒメ)も、
とっくの昔に、お亡くなりになられておられました。
つまり、カミ(祖先・みたま)としての、人々への守護をして欲しいと、アマテルカミは願われるのです。
有り難い事です。
しかるに、広田神社の現代で考えられている、お祭りの主体は、
天照大御神之荒御魂で、
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)と、
申し上げます。
つまり、アマテルカミでもあるかも?
さらに、おキサキのムカツヒメ(ホノコさま)を表現しているのが、
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)の、
表記かと理解できます。素晴らしくフィットしていますことが、
もう、お解りでしょうね。ムカツヒメさんと、「向津媛命」とは、
まさに、ベストのマッチングです。ね。
そして、ワカヒメさまが主にお育ちになられたのが、
浜の南の宮と、中世に言われていた所、現在では西宮神社ですね。
蛭子のお祭りが濃厚です。
此処がややこしいのです。
『古事記』『日本書紀』が、ゴッチャに取り違えているのです。
アマテルカミのお姉さまで、捨て子のために、後に妹の扱いになったのが、
おウタも最高レベルにお上手なワカヒメさま(ヒルコヒメ)。
それとはちがって、
流産で、生命をこの世に生じられなかったのが「ヒヨルコ」でした。

先ほどに掲げました、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』ともに3アヤの8ページの記述がありました。

ここで、ヒヨルコ(流産の子)と、立派に成人なさったヒルコヒメ(ワカヒメさま)とを、

混ぜて、消去したのですね。

ふたつの、まったく違ういきさつを、ゴッチャにして、
ワカヒメさま(ヒルコヒメ)を、歴史から抹殺したのが、
事も有ろうに『古事記』『日本書紀』です。
そうなのです。

歴史の改竄は、彼らにはお手の物の常套の手段なのですね。

でも、
こんな謀略を、許したままで良いと、わたくしは、
絶対に、そうは思いません。どうでしょうか?
そんなインチキに、たぶらかされたままで良いですか?

流産の「ヒヨルコ」と、

「ヒルコヒメ(ワカヒメ)」さまとは、まったくの別人格です!

さらには、その上に輪を掛けて、

アマテルカミを女神にと、たぶらかしの策謀記述にしているのです。

だって、

女性天皇さんって、何千年来、ホント、特別の時期の際だけに、

お願いを申し上げるのですね。なにしろ、もう、ご結婚もそれは将来無しだと、

その思いがありますのです。

その歴史の長い事情にも考えましたら、アマテルカミが女性であるわけがなく、

おキサキさまたちの、13人の軋轢にお悩み遊ばした、

きわめて、悩み多いお方であられたと、いうことが、真実です。
と、まあ、
正義感に溢れるわたくしは、
いつもいつも、エキサイトしてしまいます。
それが、『古事記』『日本書紀』のやりくちです。

こんな疑義の記述を許しておいて良いものでしょうか?

『古事記』『日本書紀』との、

くわしい詳細な照合の仕事をし終えたので、

わたくしは、キッとなって、漢字のインチキを糺すべきだと言っているわけで御座います。

このこと、
ちょうど、現代の「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」
の、貶め工作と同じです。要は、『古事記』『日本書紀』も、

いわば、真書の『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の内容を「偽書」におとしめたともいえます。

そう言って、

あれこれ言っていましたら?
何で? 怒っているの? って、

そのような訊かれ方も多くアクションがあります。

でも、そう聞かれても、
やっぱり、ため息しか出ては来ませんような事で御座います。
タカラものに、インチキで、おとしめられて、「偽書」に言い触らされて、
それを、黙って指をくわえて、ノホホンと見ていられますか??

あなたのお父さんは「バカちゃんね」「バカボンね」って言われて、

看過できますか?

私の父も、大したこともない人生でしたけれど、

幾つものキラッと光る輝きを、

わたくしにも見せてくれていました。やっぱり、ある意味、尊敬と言いますか、

チチ(父)あればこそ。

と、いつも思っています。
            ・
こう言って、私の立場の説明を少し子細にもしていましたら、
まだ、
『ホツマツタヱ』の1アヤの、はじまりから、
まだ進めていませんでした。なんと、まだ1アヤ4行目の所でした。
次回は、もっと進めれると思うので御座います。

気長にお付き合いのほどを、お願い申し上げます。

 

 

     ・・     ・・・・・   ・・      ・・・・・・

昨日、今日、射水市からのお方の問い合わせがありまして、

もう、2回目。

ちょっと、なんだかお解りくださいますか?

書き取りのノートが、あいにく、

女房用の、5mmのマス目しかなかったので、

書き取り練習帳の、ノートは、

返送のところに入れませんでした。初めは、1cmマス目が良いと思います。

五個山の、良い和紙をお送り頂きました。

これは、はじめて。

紙の曲がりを直してから。です。

時をえて、

また、書かせて頂ければ。

そう、思いまして、さっき広げました。

射水市のフタカミのこと、

やっぱり、むつかしいですね。

 

さてさて、

射水市の、その、お問い合わせのお方に、

さきほど、

お応えにと、郵便の100サイズの大きさで、おたよりを出しました。

和紙の全版の大きさのヲシテの書を添えて。  

さて、さて、

ヲシテの読み書きにまで、

どうでしょうか、お進みいただけますのであられるのか、どうか?

いったい、どうなので御座いましょうか? ヲシテの文字が読み書き出来たら、『古事記』『日本書紀』の原書に、もう、すぐにアクセスできます。すごい!!!

            ・・

ー追記ー

油揚げの事、私の好物は「油揚げ」、豆腐のうす揚げです。

女房にも、何処か出掛けたら、お土産はやっぱり「油揚げ」。

それで、出雲の宍道の大野豆富さんを知りました。

以降、ずっと、送ってきて貰っています。

その他に、京都では「とようけ屋」さん、の、
うす揚げが、また、絶品においしいです。

なにが違うのか? よくわかりませんが、「とようけ屋」さんのは、

絶品です。女房のお花の先生が、送って来て下さいます。

昨日は、女房が出掛けていて、

わたくしひとり、「とようけ屋」さんの油揚げで、

堪能していました。何枚も多く送って下さいましたので、一部は、冷凍です。

ああ 、あれ??

宍道の、大野豆富さんの油揚げもまだ、幾つもあったんだ。冷凍庫を覗いたら、

えらいこっちゃ、食べ物があふれて来ていました。ウチは、膨満感にご注意です。

油揚げって、冷蔵ですと、1週間にも保存が危なくなります。

ところが、冷凍にして置いたら、ひと月でもふた月でもOKです。

味も、まったく、大丈夫です。

 

この知恵を、うまく、ご活用して下さい。

「油揚げ」大好き人間からの、ひとつの、知恵で御座います。

なによりも、絶対に有効な智慧であります。

| 日本史 | 14:01 | comments(3) | - |

『ホツマツタヱ』の1アヤから、最新の解説。その1。

『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の、
1アヤから、読んで面白いトピックに、まとめてゆこうと思います。

竹田恒泰さんの『中学 歴史』を読んだ感想からの、その、今日のスタートです。
現代の常識との、違いを浮き彫りにします。

『古事記』じゃどうしてもダメだと言う、その感覚を、解かって欲しいからです。
『古事記』『日本書紀』の翻訳前の原書は、
何が違うか? Chinaの漢字翻訳の直訳版との相違の事です。
そこに、重点を置いての説明をします。
なにしろ、「カミヨ(神代?・上世)」では、
8割もが、翻訳カットされてしまっています。

漢字訳は、所詮が、売国なんですね。

どうしても、わが国の固有の「縄文文明」「縄文哲学」について、

まともな、解説が不可能になります、漢字直訳では、ダメです。
そんなバカな? って思われるお方には、『定本ホツマツタヱ』を、
ご覧願います。

如何にもひどくインチキをし込まされていたのか?!!!

1300年間もの長い間にも!! ほんと、ひどい話で御座います。
完全に、カミヨ(神代・上世)で8割は翻訳削除されています。ご確認の事!! 一目でわかります。
それで、さらにも、
おそろしいことに、たった、
2割だけが、『古事記』『日本書紀』に翻訳されていただけだったのです。

さらに、さらに、驚愕の怖ろしい事には、
漢字翻訳された、2割の処も、いたるところが誤訳だらけです。ひどい話で、これが、漢字翻訳での真実です。

もう、わたくしはヲシテ研究、半世紀に近くにも成りますが、

生涯を掛けて、わが大文明に再興の萌しを! と、

奮励赤心の思いで取り組んでまいりましたのは、

この、インチキのたぶらかしの1300年来の疑義に真面目に対応しなくてはならないと、真実、心の底から、

17歳の時にわかったからです。
               ・
さて、その記紀の批判はさて置きまして、
『古事記』『日本書紀』に漢字訳される前の、
世界観をお感じ下さい。いかに、わが「縄文文明」が素晴らしい事であるのか!

           ・        ・
『ホツマツタヱ』1アヤ
「キツ(東西)のナ(名・名称)と、ホムシ(イナゴ、イネの害虫)さるアヤ」

(東西南北と中央を代表して東西で表しています。古語で、東西南北を「キツヲサネ」と言います)
わたくしたち、ヒトは、
天地の恵みの中に生きている事を、説くアヤです。
恵みに感謝をする。
そして楽しく生きてゆくのが、私たちの幸福につながります。
生きる知恵です。
恵みを感じること。そして、感謝する。

さて、物語りの解説に進めます。

アマテルカミの、実のお姉さんであり、
捨て子にされた経緯から、
アマテルカミの妹君の扱いになった、
ワカヒメさんと言う人が居ます。
ワカヒメさんと名が付けられた、その「ワカ」の言葉の意味が、
若返ることからでした。
アマテルカミは8代目のアマカミ(古代の天皇陛下)です。
31文字の5+7+5+7+7の、ワカ(和歌)は、
ヲシテ時代の中期から起きてきたウタの形式です。
最も初めの31音の歌は、
アマテルカミのお父様の、
7代目のアマカミ(古代の天皇陛下)のイサナギさまのウタでした。(記紀削除の部分です)


つちかふは みのあしはらも 
みつほなる たみとなせとみ 
とみとなれたみ 
(『ホツマツタヱ』17アヤ94頁)
これが、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に記載されている、
31音ウタの最古の例です。
この、イサナギさまの時代には、ウタの事を「ワカウタ」とは、
命名が為されていませんでした。
31音韻のウタを、「ワカウタ」と名が付けられたのが、
アマテルカミの実はお姉さんだったのに、
妹君の扱いになったワカヒメさまの物語から起きました。
話せば長い事になります。
ウタの発達の歴史だけ、少しふれておきたいです。

 
1、トコヨのウタ(クニトコタチの時代のウタ)
決まった音韻数の数に捉われない形式
例1、オモイカネは古くからトコヨ(建国の時)の踊りに、
「ナガサキ(あなたの幸せを祈る)」を込めてウタを詠みました。(記紀削除の部分です)


かくのき (タチハナの樹、外二点の濁点表記は伝承時代(後世の漢字時代)の付加物と認定できます。そのため、清音の「ク」に表記しました)
かれてもにほゆ
しほれてもよや
あがつま あわ
あがつまあわや
しほれてもよや 
あがつま あわ
(『ホツマツタヱ』7アヤ37頁)

 
例2、アマテルカミのミチスケのウタ
古い時代のトコヨの時代の踊りに合わせたウタの形式のようです。
3・6・5・5・2・5・3・4(5・4・5・7・5・7)の32音のウタです。
ソサノヲの犯したツミ(罪)は大きなものでした。兄のアマテルカミには、弟にこころを目覚めさせる事が出来なかった重荷がありました。弟が死罪になる事態だけは避けれたのが、せめてもの救いでした。クニトコタチの建国の時代に縁(ゆかり)のあるトコヨのオトリに合わせたウタだったのでしょう。

(記紀削除の部分です。『古語拾遺』に一部掲載されています。『定本ホツマツタヱ』に明記)


あはれ あなおもしろ
あなたのし
あなさやけ おけ
さやけおけ
あわれ おもしろ
さやけおけ あなたのし
(『ホツマツタヱ』7アヤ44頁)

「アナニ」の用例は、むつかしいですが、

重要なので揚げます。


2、ツキウタ(ひと月30日にちなんだ、続きウタ))
15音と15音との続きウタ。7代目のアマカミ(古代の天皇陛下)の
イサナギさまと、イサナミさまがお詠みになられた。
ツキウタの詠まれる前に、5音4音のウタを詠まれていました。(記紀削除の部分です)


あなにえや ゑをとこ (あなにえや ゑをとこ)
(『ホツマツタヱ』3アヤ7頁)ホ3-7(385)、ミ3-7(11099)
「とても素晴らしいことを得ました。良いオトコ(男性)でありました事よ」
わなうれし ゑおとめ (わなうれし ゑおとめ)
「私も同感に思います。良いオトメ(女性)を得ました事よ」
さて、この結果産まれるべき子供は流産してしまいました。
その改善のために、5音7音のウタをお詠みになりました。(記紀に、一部改編の記載があります)


ヲ(男性、イサナギ)は、
「あなにゑや うましおとめに (あなにゑや うましおとめに)
あいぬ」 (あいぬ)

(『ホツマツタヱ』3アヤ12頁)ホ3-12(405)、ミ3-12(11119)、ワ-016
「とても素晴らしいことを得ました。良いオトメ(女性)に会い、この時の麗しさよ」
メ(女性、イサナミ)は、
「わなにやし うましをとこに (あなにやし うましをとこに)
あひき」 (あひき)
「私も同感に思います。良いオトコ(男性)に会い得ました事こそ
素晴らしい限りです(此処から何かを開き生じさせましょう)」
5・7・3のウタでした。『フトマニ』に照らしますと、5・7では「モ」「エテ」になりまして、
物事の成就が為される意味合いです。また、5・12に照らしますと「モ」「ソノ」に相当しますから、
物事の揃い成る意味です。こうして、イサナギ・イサナミさんは7代目のアマカミへの即位を果たされて、
国家再建への全国巡幸をおこなってゆかれるのでした。
この、5・7・3の15音のウタは、両首合わせて30音になります。
それは、月の巡りに準(なぞら)えられていました。
ツキタチ(月立ち・朔月)からモチ(望月)にと日々ツキ(月)は大きくなってゆきます。
モチ(望月)からは末のユミハリ(弓張り・下弦の月)を経て、ツキ(月)は細ってゆきます。
満ちゆきと、欠けゆきですが、それは、天空の話で、地表上には逆にモチ(望月)から
コ(実体化・ツキの働き)の及ぼしが強くなると考えられていました。
男性は発展させる働きが強く、女性は固化する働きが強いのですね。
ツキ(付加する働き)の周(めぐ)りの表現のウタが、
イサナギさん・イサナミさんの合わせウタの30音ウタでした。
それで「ツキウタ」とも呼ばれます。
月の意味にも含めて、また、続きの意味の続きウタの意味合いも込められての命名です。
また、「ツクハ」のカミと讃えられるのも、
合わせての30音のウタのユカリ(縁)からでした。

お互いに合力するのが、「ニこころ」の基本です。

それが、「ツク」(付いて)と、「ハ」(成就してゆく)の言葉に現われての表現です。

何かあったら、そこに、どう? プラスできるか? を、思うのが「ニ」のこころです。

それが、「タス」と言う言葉でもあります。
「ツキウタ」にて「ハ」を為された、「ツキ(月の巡り、付く(ツク)働き)」の「ウタ」で
「ハ(物事を生じさせた)」の、国家建国を、お世継ぎのご誕生の実現を為されたのでした。
3、2番目の31音の、ココリヒメのウタ
待ちわびていたミコ(皇子)の誕生を祝うウタが、ココリヒメによって詠まれました。この時のミコは、後に8代アマキミ(神武以前の天皇陛下)になるアマテルカミです。
オイ(甥)に当たるミコ(皇子)に産湯を使って手伝うために来ていて、ココリヒメは赤ん坊の泣き声を手に抱いて聞きました。この子が聡明なる事を知ったのです。赤ん坊自ら自分の名前を泣いて呼んでいるのだと、ココリヒメには聞き取れたのでした。「う」「ひ」「る」「ぎ」と自らの名前を呼んでいるのです。
「う」は大小の大で大きい事を意味しました、「う・す(大・小)」の「う」です。「ひ」は、お日さまの「ひ」で、太陽と月に世継ぎ子を得る祈願をして授かったミコでしたので、日の分霊としての意味で「ひ」です。「る」は日のまさに燃え盛る炎のようなエネルギーの溢れかえっているさまを表す「る」です。「ぎ」は、男女の添え名の「きね」や「ひこ」また「こ」などの男の添え名の「ぎ」です。ココリヒメが赤ん坊の泣き声にイミナ(まこと名)を聞き取り得たので、このミコのイミナは「ウヒルギ」と称される事になります。のちのアマテルカミです。
赤ん坊の泣き声から名前を聞き取ったココリヒメは、キクキリヒメという褒(ほ)め名を貰います。イサナギさん、イサナミさんから大層感謝されましてので、ココリヒメもウタを返しました。

(記紀に、一部改編の記載があります。『定本ホツマツタヱ』を参照してください。。それは、すさまじい、ひどい誤訳です! わたくしの眼には、見るにも耐えがたい程のひどさです。記紀共に、ひどい)


あかたまの わかひるのるは 
あおきたま くれひのみたま 
ぬはたまなりき 
(『ホツマツタヱ』4アヤ38頁)
「赤々と丸く輝きだした初日の出のヒ(日、太陽)は、元気なア(ウツホ、気体)の集積したタマで若々しいです。私のような、クレヒ(暮れ日)のミ(身体)のタマ(心の中心)は、ヌハタマ(黒い球)のように光るだけです」
             ・
さて、以上に、
ウタの歴史の「ワカウタ」と呼ばれる前のことを、述べました。
これを踏まえて、ワカヒメさまの話に入ってまいりましょう。
(ホ1-1(97))
それ、わが国の文化を語るうえで、大切な「ワカウタ」の名前の謂れに付いての、
説明をしましょう。
アマカミ(古代の天皇陛下)の8代目にご即位なさいます、アマテルカミには、
先に生まれたヒルコヒメがいました。お昼に産まれたからヒルコヒメと名が付けられました。
そのヒルコヒメさん。
アメのフシ(現代で言う厄年)に、父母がその年齢だったので、
捨て子にされまして、他の夫婦に育てて貰う事になりました。
のちに、皇室に復帰なさいます際に、アマテルカミの妹君にと、
兄妹の順が変わります。
ヒルコヒメさん、捨て子にされて、
育ての親にとされたのは、カナサキさんと、ヱシナツさんの夫婦でした。
カナサキさんは、ナカクニのクニカミです。
造船から、航海術から、海運にかけて、
幅広い能力を備えて活躍していた人物です。
そして、文化度も高くてウタのミチにも秀でていました。
ヒルコヒメの育ての親として、託するのは、適役です。
そして、折しもヱシナツさんは、幼い子を夭逝させてしまって、
失意の傷心の状態にありました。
まさに、渡りに船。
ヒルコヒメさんは、カナサキ・ヱシナツの夫妻のもとで、
温かく、そして、教養も高く育てられました。
ヒロタのミヤにて、養育に当たられます。
ヒロタとは、今現代での、西宮市の広田神社の祭祀が、相当します。
また、平安時代頃までは、広田神社の摂社の扱いであった「浜の南のミヤ」は、
西宮神社が今に伝えを受け継いでいます。10日エビスの祭礼にも、
はっきりと、ヒルコヒメ(ワカヒメ)の謂れは伝わっています。
さて、当時に、
産まれ初めからの、
一番初めに、受けるべきの初等教育は、
今に言う七五三(ヒチゴサン)です。
「アワ」の学び始めです。「アワウタ」です。

        ・    ・    ・
さて、こんな感じで、です。
これならば、
お解り易いかも?
でも、そうだと、
これで、やっと、
『ホツマツタヱ』の、1アヤの5行目ぐらいにまで来ました。
ヲシテ文献の全体量は1万行は越える分量ですから、
こんな感じのページが、単純計算だと2000ページ必要になります。
ホント、
漢字以前の我が国の大文明は、
簡単には説き起こせないと言えますか。
すでに『日本への招待』の原稿は、8割がた完成しています。
これを出版するのが良いか?
ほかのもっと良い手だては?
と、悩みます。
さて、次の仕事は?

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