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カナツキ(カンナツキ・旧10月)のもう、モチ(満月)です。風邪予防のこと。

昨夜の、月明かりは美しかったです。
雲間が、ぽこんと切れていて、深い青空が見えていました。
雲の上からは、ほぼ満月の月が雲間の端で照らしていました。
先ほどに、降った様な水にほのかな月明かりの光が路上にあちこと、明るくしています。(私のカメラには撮影不能でした)
クニタマ(地球)って、どうしてこんなにも、うつくしいのか?

そういえば、今朝、「ビナンカズラ」の実を、
朝日が照らしていました。

カエデのモミヂも、うつくしいです。

サクラのモミヂも、早や落ちの樹には残っていませんが、
残っているモミヂ葉の美しい事。

この、季節の移り変わりのさまは、 

「みてくらそむる」の、
ようです。『ミカサフミ』に典拠があります。

アメミヲヤの創造の祖(をや)が、

その、宇宙の初発からの伝統によって、「イキ」を吹き出して、

それで、山野の彩りが染まる。

そういった自然観です。縄文文明の出来て来て来た頃の感覚です。

田舎では、よくわかります。

昨日に詠みましたウタです。

  (ハのオサに ヘにつりわけて

   ヒをナクル 数いたらせて

   フエ(増え)巻くチマキ)

 <織り機の事で、タテ糸の交互の上下の振り分けをする器具の綜絖(そうこう)とは、

  実は、古語で「へ」と言うのでした。

  その、タテ糸の上下の隙間に横糸を通すのが、「ひ」です。

  タテ糸の左右のブレを制御するのが「は」の「オサ」なんですね。

  「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」の、

  「は」「ひ」  ぬけ 「へ」  ぬけ なのでした。まさに、「成して、生え・増えてくる」感じですね>

 

           ・

 

季節は、カナツキに、それも、
もうモチ(満月)になろうとしています。
ヲヲナムチが、病避けにと、「ヌルテ」を焚(た)いて、
人々に暖をとらせた季節です。『ミカサフミ』に記載があります。

また、『カクのミハタ』の「トシウチニナスコトのアヤ」にも、

同様の記載があります。

『ホツマツタヱ』だけで、漢字以前の我が国の大文明の全貌が、

わかるわけないです。『ミカサフミ』や『カクのミハタ』が、

どうしても必要です。 『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」と、わたくしがいうのは、

本当の我が国の「国学」の樹立を目指しているからです。

このところ、

女房が、『フトマニ』の私の解説文を読んで、

いたく感心しています。『新註ミカサフミ・フトマニ』(展望社)です。

自分の字で読み書きしてみると、『フトマニ』のその奥深さが解かるのですね。

 

 

「カナツキ」とは、
温かいはたらきの、4本の内の、最後の一本までが、
地中に潜って行ってしまう事を表現しているのが、
「ミ」のヲシテの文字です。

それで、寒いはずなのです。

普通の感覚に思うよりも、原理からして寒いのです。

わが国は、漢字が渡来する前の、もっと古い時代の縄文時代の前期から、

「国家」として成り立っていた、文明国でした。

この真実に、ほんとうに、気が付いて自覚が出来てくるのが、

未来に向けての、真実の一歩目です。それには、漢字以前の世界観に目覚める必要があります。

すなわち、

ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の復活と、ヲシテ原字原文の『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の取り戻しが基礎になります。直訳じゃ、「売国」的な構造のママです。だって、直訳でChina風に染めちゃっているのですから、ダメなのです。

 

 


子音の横棒が、地表を意味します。

子音の縦棒が、温かさの働きの最後の一本です。

地表の上は、寒いはたらきをもたらす4本の「メ」が満ちます。
皆さま、風邪などの予防に、暖をおとりになられて下さい。

    ・

なお、

「みのうちの めくりよく」のこと、

病気の予防の極意のようです。

『ホツマツタヱ』の1アヤにありました。

アワウタを朗唱するのも、役立つようです。

          ・

 

我が国の本当の独立には、

アマテルカミもお使いであらせられた、ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の、

これを、ちゃんと、その復活が、

まずもって第一番の、いの一番です。

我が国の本当の文字と、ヲシテ時代からの本当の根本の伝統の文章を取り戻してからが、

ちゃんとした、階段の一歩になります。

それまでは、

「対処療法」的なことで、漢字の直訳の亜流の風下での位置に甘んじているだけで御座います。

こういった意味で、

どうしても、

ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字、の現代復活を、

わたくしは目指しています。なにしろ、記紀の原書なのですから。

つまりは、2000年来からのChinaの陰謀に、

もう、騙されないように出来得るのは、

『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」が有りてこそ、

それも、原字・原文での取り戻しが出来てこそです。

それが出来ていない人は、「又聞きちゃん」の「マタさん」ですね。

どこが、おかしいかって言いますと、

Chinaのサングラスを通してみているから、おかしいのですね。

 

また、

世上の「常識」しか知らないのに、

折角に見つかった、我が国のタカラモノに、

まったくの検知の不可能のお人も、多いです。

この方は、こちら側の努力不足の感も否めないことも事実で、忸怩たる、

そういう思いも無きにしも非ずでは御座います。

 

でも、何百万部も売れたらからって、

その、本に込めた思いは、なかなか世間には浸透しても居ないのも、

百田尚樹本を、わたくしは、すべて見ましたけれど、まあ、そう言ったことでしょうか?

世間は広い事で御座います。

でも、

『ホツマ辞典』は、もう、類歴の販売冊数で、5000部はとっくに突破しているので御座います。

初版を1000部刷ってから、増刷も繰り返しと、

さらには版をあらためて、もう、3版目にもになっています。

とても、わたくしの力だけだとは、とてもとても思えません。

我が国の、本当の大文明なるが故です。

わたくしは、そう思います。

まじめな、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の、

理解は、着々と進んできていると思います、「直訳」の方式では無いマトモな路筋での…。

今日も、この間から考えていました「いさ」「いし」「いす」「いせ」「いそ」の言葉の意味も、

少々解き明かしが出来て来ました。

わがくにの、大文明って、

掘れば掘るだけ、

ソフト面での文献学でも、幾らでも出てくるんですね。すごい、大文明だと思います。

ヲシテ文字の、イメージでこそ、

 

我が国の国語の根幹が解かるのですから、本当にすごい事で御座います。

 

さらに、さらに、わが大文明のミチのおくの素晴らしさに、

わたくしは追い行って精進しております。

それが、果てしない程のすごさなのが、鳥肌立つほどの、

我が国の真実なので御座います。

だって、

「いさ」「いし」「いす」「いせ」「いそ」の意味でも、

ものすごい事だったので御座います。この内容だけで、本の一冊やそこらは出来ちゃいますね。

もちろんのことですが、

ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字、

『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に、

記紀の原書だと、位置確認の確定作業の上、

そのことの、基盤の認識が出来ていてこその事で御座います。

なにしろ、根拠と基礎が重要の事実で御座います。

 

直訳での、意味不明の、

幻様なる、国籍不明の理解では無いのです。

8世紀に、国史として編まれ編纂・編集されたちゃんとした、

『日本書紀』のその、翻訳前の原書だと、

わたくしは、認定して、その研究成果を書籍にも上梓しております。

このごろは、ぼちぼちと、売れ行きも多くなってまいりました。

さすが、わが国は、縄文時代からの文明国ですね。

やっぱり、本物に分かるお方も多いです。

| 歴史から長寿・健康まで | 09:40 | comments(13) | - |
Comment
塙保己一さんの事、翁と呼ぶべきか?
大人(うし)と讃えるべきか?
群書類従の刊行の功績は、
ヲヲヤケをまさに一身に受けて立つ、
アトラスのような雰囲気を感じます。
「国」のため、わが民族の存立の根拠のため、検校で得た多額の収入を、群書類従にすべて奉げた人物です。
また、お弟子に、多くの人を育てたことも学功で、屋代弘賢もえらかったですね。
藤樹記念館の保管の事は、諸事情が複雑なので、一口には説明がむつかしいです。
本来は、高島市にもヲシテの記念館を建てて、そこで、厳重な保管管理をするべきでしょう。ですが、まだ、その段階に至るには、もっと時間が必要のようです。今は、じみちに、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の原文を読み書き出来る、真面目なお方を少しづつ増やしてゆく事しか、他には、ミチは御座いません。
2018/12/04 5:35 AM, from いけだ
国学や陽明学の事について:

我が国の発想や政治の仕組みは、ヲシテ文献で勉強させて頂いていますように、自然に則った、「アマネク」やり方で、総ての人々に幸せを齎すようにと考えられていますね。いつも、講習会で学ばせて頂いて、随所に感じます。

それを「愛」と書くと漢字の音読みになりますが、愛=天意(アイ)「やさしさ」でもあって、アメミオヤ(=創造神)の意思をそのまま、地上に齎らす世界観を造ろうと言うのが、ヤマトの人々の意(こころ)だったのだと、ヲシテ文献でハッキリと知る事ができました。これだけでも、感謝なことですね!

さて、賀茂真淵先生のこともそうなのですけど、江戸時代の国学者の方々には、立派なお方が本当に沢山おられて、塙保己一(はなわ ほきいち)というお方も、知りませんでしたので少し調べてみましたら、何と盲目の大学者さまなのですね!!盲目の最高位である検校(けんぎょう)にまでなられ、あの『群書類従』や『続群書類従』を出版された!!一途に学問の為に努められた方と言っていいのでしょうか?

国学の偉人については、戦前までは学校の国語や修身の教科書にも取り上げられ、誰もが知るということもあったのでしょうけれど、戦後は歴史の教科書に少し名前が書いてある程度で、人となりについては、殆ど知ることが無くなったような気がします。

思い出しますと、
昨年の秋は、高島市の中江藤樹記念館へ『ホツマツタヱ』の展示があるのではないか?との期待をして出かけました。ところが、残念ながら「ホツマツタヱ」に関する展示は少しもなく、係の方の説明もなく(笑)、その代わりに、中江藤樹先生のお話をしっかり聞かせて頂いてきました。

そういえば、ここは「中江藤樹記念館」と書いてあった!と、思いました。でも、中江藤樹先生については、名前以外は殆ど知りませんでしたので、どんな学者様だったのかを聞かせていただいたら、近くにこんな立派な学者様がおられたのだと、気づくことができました。何でも、戦前までは修身の教科書に載っていて、誰でもが当たり前に知っている有名な偉人だったということも、説明してもらえました。

これからの時代は、もう一度、国学を取り戻して、日本の偉人のことを誰もが知っている時代にしないといけませんですね。池田先生には、いつも幅広く学びになる示唆や教えをいただいて、有難いです。
2018/12/03 11:29 PM, from 山脇幹夫
「浮世離れ」のこの話の事は、
さかのぼること、36年の前の昔にもありました。

まあ、定めし、わたくしたちの夫婦の特徴でしょうか。
今は亡き、わたくしの母が、
あきれたように、
「お道楽者の夫婦」だって。
「みのりさんは、とくに、芸術家だから、ね」
って言っていましたのを思い出します。ご気楽トンボの夫婦で御座います。

わたくしは、女房の美的感覚にほれ込んだので御座います。他に選択の余地がもう無かったので御座います。この思いは絶対でした。間違いはなかったと、今でも強く思っています。
わたくしは、直観のそこは、森永ヒ素ミルクを、断固として拒否したこと。
赤ちゃんでの、そんな私でもそうでした。
今にして思えばビックリです。極限の際での判断は、結構、うまくやって来ていますね、わたくしは。
不思議な成り行きで御座います。遠い先祖の人達からのご加護なのかも知れません。不思議なことで御座います。不思議な事、いろいろと感じています。
2018/12/03 2:50 PM, from いけだ
―追記―
 『万葉集』における、世界観、特に一般の人々のそのお歌においての感覚は、
今現代のわれわれの、本当の意味での一般人の感覚と同一性が有ります。
他の人に、同情したり、恋焦がれてもまわりの人達への気配りもしたりします。
我が我がの、そう言うガツガツさには、無縁の世界観です。
やはり、普通の庶民の一般の人々は、「やさしさ」が心の奥底にあるんだと思うのです。本当の我が国の伝統は、ここに有ったのです!

本当の、「縄文文明」の極致、
わが大文明なる、本来の根拠です。
それは、「やさしさ」と、未来志向のことです。
明日からどうやってゆこう?
もっと先に、どうやってゆこう?
 
ところが、『古事記』だと、目的のためなら手段を選ばずの「孫子の兵法」のような、ゲッつい道徳観に支配された世界観だと思うのです。過去へのグチャグチャですね。過去の出来事は「水に流して」さあ、明日からどうしましょうか? っていう、本来の私たちの感覚は、『古事記』のどこにも、私には感じられません。
上っ面は、さも、取り繕いで良いような感じに、と感じます。
そう、うまくやっているのですね。さすがです。
一流の詐欺師の手口にも似ています。
でも、見識眼のある賀茂真淵には、見抜かれていました。
そうそう、『古事記』って、どう見てもおかしいのです。
これって、どう考えても、賀茂真淵翁には、大きな違和感を感じになられていたのだろうと、わたくしの推察するところです。さすが、真淵翁だけのことがあるわけですね。
『古事記』は、おかしい、我が国の本来の「やさしさ」が何処にも感じられない!
だって、これって、どう見ても「ヘン」です。構造的なその理解の上でのことですが、
やまとことは、にて、書くような雰囲気での記述です。『古事記』は。
ですが、漢字ばっかりで書かれているんですよ。『古事記』って。
今風に言ったら、ローマ字表記で、文章が記された感じです。ヘンだと、思われませんでしょうか?
ローマ字で書かれた文章には、よほど、時間を掛けないと、その意味も読み取れません。
そこには、絶対何かしらの埋め込みが有ったと、ファーウェイでも無いですが、怪しいです。もう、米国はじめ先進的な諸国ではファーウェイの締め出しが、潮流になってきています。絶対に、やっていますよ、彼らは!

なにしろ、
「机」以外の四足は、何だって食べる風習です。彼らは、やはり、わたくしたちとは民族性において大きな隔たりがあるのです。価値観も世界観も違うのですね。少なくとも、3世代は経ないと「京都人」として認められないと言う話は、ある意味において、現代にも有効なことかも知れません。
 
そうそう、江戸時代の中期の事で、
さすが、見識眼のたしかな真淵翁は、
もう、解かっておられたんでしょうね。
そう言った意味だったと、わたくしは推察します。
真淵翁が『万葉集』の勉強を、宣長に強く勧めておられたのは、漢字以前に遡る、我が国の本来の伝統に目を見開いてもらいたいから、という、切実な思いだったのだと…。
ファーウェイにやられっぱなしの、そんなランクでどうするの??
関西言葉で言えば、「あほちゃうか?」ですね。
でも、使いっぱしりのランクの宣長は、『古事記』に秘められ込められていた毒牙に気も付きも出来ないじまい。あー、あわれなるかな!
マムシを丸呑みしちゃったのが、宣長だったのですね。あーあー、あ。
真淵翁の嘆きの声が、聞こえてくるようです。
それで、もう、
「あんたには、言うべき言葉も無い」
って、そういう、絶縁状が出されたんですね。石水博物館に保存された真淵翁の書簡は、そう言う意味ですね。
http://www.norinagakinenkan.com/tenji/10aki/10aki_b01.html

 
骨董の世界でも、「目明き三人、めくら千人」とも言います。「めくら」って、言う言葉は言ったらいけないのでしょうか? でも、塙保己一翁のこと、わたくしは、最上級に尊敬申し上げています。
ヒトの、他人のこと、何を尊敬するか?
「いやまふ(いやまい)」の事ですが、真摯で、他人を思いやるこころのその強さの事だと思うのです。我れが我れがのことから、どれほど離れているのか? そこが、ヲヲヤケにと思うこころ。そこに、ありて、人々のこころに感動を呼ぶものなのだと思うのです。
「われがわれが」、から離れていた、浮世離れのわたくしならでは、気が付いてきたことかも知れません。わたくしは、単なるご気楽トンボの気楽での「浮世離れ」だったのですが…  。
女房とも、気分といいますか、価値観と言いますか、それが違和感も無くって合うっていうのも、
ご気楽さが
2018/12/03 2:20 PM, from いけだ
「松阪の一夜」は、
むかしは有名でしたけれど、
今頃は、皆さま、あまり知らない事が多いようです。
良い書籍を読まれました。
 
「漢(から)ごころ」と「やまとこころ」の違いの理解について、
真淵翁は、イメージとしてかなりの処まで持ち得ていたのだと思います。
ただ、根拠について、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の発見と現代研究の以前ですから、
明瞭な根拠に基づく見解を述べるだけのところには至らなかった。
と言うように理解できます。
真淵翁ほどの人ですから、宣長とは格が違いますように、
私には感じられて仕方がないです。
特に、真淵翁がおかしいと思って居られたのが、
『古事記』の世界観の事であると思われます。
 
宣長は、使いっ走りのような感じだと思います。
まともに、真淵翁に教えを乞う態度でも無い。
自分が偉いと言いたいだけのような。
そんな、詭弁を弄しても迄と言ったようなことは、
さんざんに、気持ち悪いと思われたのでありましょうね。
真淵翁は、真理に対して誠実ですから、
すぐれた、学功に対しては、ちゃんと評価をする人だと思います。

『古事記』で、わが国に特有の伝統である「やさしさ」を説くことはムリでしょう!
2018/12/03 8:40 AM, from いけだ
(つづきです:後半)

結局、真淵先生の心配の通りに、本居宣長は古意(いにしへこころ)を会得できないまま、『古事記伝』なる、古事記の注釈書を出版したということではなかったか、と言うのが
この本を読んでの私の感得しえたことになりました。真淵先生は元々、『古事記』を注釈して権威の元に世に出すことの危険性を感じておられたので、あえて『古事記』の注釈はしなかったのではなかったか、ということです。

それにしましても、この件で思いますのは、真淵先生の言われていたことと、池田先生が現在いわれている事が、殆ど重なって同じように感じられた事です。

真淵先生は、古(いにし)へのまことの意(こころ)を求めて、漢意(からごころ)をきよく離れなさい、と言われます。
池田先生は、ヲシテ文献の直訳では、china風に染めちゃってる!だから、漢字の発想を離れて、ヲシテの本当の意味を原文から直接に感じ取りなさい、と言われます。

この2つの教えは、全く同じ意味の事を言っておられるのであって、賀茂真淵先生と池田先生の教えが時代を経て合い通づるものだった事を気付かせて頂きました。

真淵先生が本当は何を求めておられたのか、と言う事ですが、それこそがホツマツタヱなどの『ヲシテ』文献に出会い、本当のヤマトの古(いにし)へ意(こころ)に触れて、深く研究したいと思っておられたのではないか、と思いました。そう考えると、私たちは本当に幸いなことに、ヲシテ文献に出会い学ばせて頂けることに、一層感謝の気持ちが湧いて参りました。

『馬渕と宣長』「松坂の一夜」は、私にとっては良い本だったと思います。
2018/12/02 11:58 PM, from 山脇幹夫
先日の本『真淵と宣長』の感想です:

パラオから帰ってまいりまして、日本はさぞかし寒いのかと思っておりましたところ、
温泉に長く漬かったように、体の芯まで温まっていて、意外と寒く感じませんでした。

そのせいもあってか、日本の寒さを舐めておりましたところ、流石に乾燥だけは避けられません。パラオは高温多湿でしたので、日本では喉が極端に乾燥していっぺんに喉風邪を引きました。

そのため、昨日は一日中家にいて本がよく読めました。

先日来、賀茂真淵先生と本居宣長の間で「古事記」に対してどんなやりとりがあったか
ということが気になっておりましたので、そのことが少しでもわかるようにと、
分かりやすい読み物を探しました。とりあえず一冊読んで見ることにしたのですが、
今回探しましたのが、
『真淵と宣長』「松坂の一夜」の史実と真実(田中康二)中央叢書という本です。

この本では、何が語られていたのかと言いますと、
賀茂真淵先生が伊勢参りの途上で松坂に宿泊され、その折に本居宣長が宿泊の宿に出かけて行き、会うことが出来たという場面についてです。
この二人の出逢いの場面を中心にして、賀茂真淵先生と本居宣長の関係性を考察する内容でした。暗い行灯の元で二人の間で交わされた会話、いったいどんな心のやり取りがあったのか?この後で、本居宣長は賀茂真淵先生の門弟としての弟子入りが叶うわけですが、しかしながら、本居宣長が真淵先生にあったのは生涯でこの一度きり。後は全部手紙のやり取りの通信教育だったということです。

これが「松坂の一夜」という話で、実は大変に有名なシーンだったらしいですね。大正時代には小学校六年生の教科書にも採用されていたというのですから。ちょうど戦争の時代でしたので、これは国威高揚に使われたともかんがえられますが、有名な話であったが故に、本居宣長の権威は確かなものになって、宣長の大業とされる「古事記伝」の執筆、それによる『古事記』の権威付けが嫌が応にも増長されていったのではないか、と推察されます。

賀茂真淵先生は、県居の大人(あがたいのうし)と呼ばれていたようですね。それで
県居の大人(当時65歳)が「松坂の一夜」で、若き宣長(当時32歳)が古事記の注釈についての計画を語ったところ、何と語られたのか、ということですが、真淵先生はこんなことを言われたということです。

「我ももとより神典(みふみ)を解き明らめんの志があったが、それにはまづ漢意(からごころ)を清くはなれて古(いにし)へのまことの意(こころ)を尋ね得ねばならぬ。古への意を得むには、古への言(ことば)を得た上でなければならぬ。古へのまことの意(こころ)を得むには万葉をよく明らめねばならぬ。故に我は専ら万葉を明らめて居た間に、既にかく年老いて、残りの齢いくばくも無く、神典を説くまでにいたることを得ない。御身は年盛りにゆくさきが長ければ、怠らず勤めなば必ず成し遂げ得らるるであらう。しかし世の学に志す者、皆低いところを経ないで、すぐに高い処へ登らうとする弊がある故に低いところをさえ得る事が出来ぬのである。此むねを忘れず心にしめて、まづ低いところをよく固めておいて、さて高いところに登るがよい」と諭されたとのことです。

ここに出てきます漢意(からごころ)というのは、中国思想(中国の発想)のことだと思います。また、古(いにし)へのまことの意(こころ)というのは、大和心(やまとごころ=縄文時代からの日本人としての考え方・発想)のことだと思いました。
ですから、真淵先生の言わんとされたことは、先ず中国思想を見抜く目を持ち
それが分かってから、『古事記』の研究をしなさいということだったのだと思います。
真淵先生ほどのお方ですから、当然に『古事記』にまぶされた中国思想は気づいておられ、そもそも敬遠されていた。「自分は年老いて神典(みふみ)を説くまでに至ることを得ない」とは言いながらも、それは謙遜で言われたのであって、本当の意味は、真面(まとも)に取り合うまでのものではない、との意が込められていたと、私は推察致しました。

当初は期待されていたものの、宣長は、文通による通信教育を受けている際にも、真淵先生に意を反する事が度々あって、何度も破門寸前まで行っていたことも書かれていました。実際、破門だったのかもしれませんが、真淵先生は優しいお方で、詫びを入れてまた質問をされれば親切に返答を返すという態度で接しておられたので、なんとか弟子であり続けられたようにも思えました。

(次へ続く)
2018/12/02 11:55 PM, from 山脇幹夫
本居宣長の賀茂真淵先生からの「破門」のこと、ご示唆下さいましてありがとうございます。
コメントが消された前にも読ませていただきましたので、大丈夫でした。
書簡での波紋状や「あがたいのうしのれいい」のこと。
毎年の墓参りで墓前に反省をひとり静かに示していたというお話などから、
ベストセラー作家になりたくて学者としての逸脱をしてしまった、
ということが察せられるのでしょうか。

本居宣長全集を読み進めれば、私にも少しは察しがつくのかとも思えますが、
そう簡単に読めそうにもありませんので、
何か読み物でもあればと思っております。
とりあえず、検索してみましたら、『真淵と宣長』(田中康二著)という本など
どうか?と思って、Amazonで一冊頼んでみました。
読んでみましたら、どうなんでしょう。また感想など、ご報告させて頂きます。
「破門」の経緯など、詳しく書いてあればいいですが。

「ホツマツタヱ」などの「ヲシテ文献」について、
まだ本当の意味で出会ってないお方に説明するにも、
こちらが反論負けしないように準備を整えておかなければ・・との想いです。
また何か、学習のヒントが御座いましたらご教示をお願いいたします。
古事記を読み解いた、本居宣長が本当に立派な学者だったのかどうか
ということについてで御座います。
2018/11/28 10:36 PM, from 山脇幹夫
ペリリュウー島の事も、
実にそうで御座います。
よくよく、お戦いくださいまされたことを、
衷心から感謝いたします。
松本善之助先生も、中大を中退なさって、
戦地にと志願なさったとの事。
45年前にお聞きしましたときには…、よくわからないことでした。
いまになると、実感が、ふつふつと私のこころの中で渦巻いてくるのを覚えます。

その戦功が、今にも繋がるので御座います。
そういう訳でありましょう。
国家を守ること、本当に大切で御座います。
 
さて、今、ここに、我が国の宝典を見出して、
わたくしは、もう、ほおっておくことができないと、
出来るだけの事をしてきましたが、
まだまだ、足りません。
かかるうえは、長生き元気で、
もっと、やってゆかねばならないと、
健康に真面目に気をつかっています。

さて、さて、
本居宣長の「破門」のこと、
賀茂真淵からの、本居宣長の破門の事ですが、
石水博物館に、
賀茂真淵の書簡が保存されています。
http://www.norinagakinenkan.com/tenji/10aki/10aki_b09.html
根拠になります。

また、
それからというもの、
毎月、命日に賀茂真淵のお祭りをしていたとの事。
下記の、書軸を掲げていたと、聞きます。
「県居大人之霊位」とは、「あがたい・(大人)うし」つまり、
賀茂真淵の事です。
本居宣長が、自分で謹書して、軸装したものだということです。
これは、本居記念館にあります。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/kakejiku.html

はじめのころ、
わたくしも、
宣長を乗り越えれない時期が、長く有りましたが、
彼の全集もおおよそ読みまして、もう、何十年も前に、
彼の限界を見据えております。
学問の土台が悪いので、どんな天才だって、それは、
曲がった家しか建てられませんよね。
ヒト地震来たら、もう、ガタピシです。
2018/11/28 6:41 PM, from いけだ
あれまあ、ビックリ。
ひとつ前のコメントを、うっかりと、消してしまいました。
すみません。バカみたいでした。
さてさて、
記憶のところから、言いまして再現しますと。
かかる、詳細で御座います。
本居宣長の、賀茂真淵からの「破門」のこと、
書状に現われてはっきりとしていております。
http://www.norinagakinenkan.com/tenji/10aki/10aki_b09.html
のところが、確実な根拠になります。
また、参考にも。
https://www.google.co.jp/search?q=%E9%A6%AC%E6%B7%B5+%E5%AE%A3%E9%95%B7+%E7%A0%B4%E9%96%80%E7%8A%B6&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=2ahUKEwjqiPG73PbeAhWEdt4KHU3tD5wQsAR6BAgGEAE&biw=1066&bih=602
 
その後の事ですが、
賀茂真淵に対しての、礼拝は、
欠かさなかったようです。宣長は。
そうだと、私も思います。
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/kakejiku.html
それで、みずからに謹書した賀茂真淵(あがたい・うし、県居・大人)の、書を軸装にして、床の間に掲げて、賀茂真淵の命日にお祭りをしていたと言います。
よほど、宣長は、真淵に対して、気まずい思いを胸に秘めていた訳であると、
わたくしは思いますが、みなさまいかが、お考えになられましょうか?






石水博物館のこと、
すこし、説明します。
こちらの地元の地銀の、百五銀行(ひゃくご)の、頭取として活躍した人物です。
この、
川喜田 半泥子(かわきた はんでいし)が、開いた博物館が、石水博物館です。
西には、逸翁美術館の小林一三。東には、北大路魯山人。
と言った感じでも並び称されます。

川喜多 半泥子は、
三重県の地元の関係の、本居宣長のモノも多く集めていました。
石水博物館は、近年に、新築で建て替えられて、
とても美しく、快適になっています。
 
来、伊勢・津市の際には、
お寄りして頂くと良いスポットです。
http://www.sekisui-museum.or.jp/exhibition/thisyear.html

そういうこともありまして、
わたくしは、百五銀行に口座を持っております。
「国学」に対しての認識が、やはりあるところが、望ましいですから。

そうそう、
静嘉堂文庫の
岩崎さんたちのことなども、あげねばなりませんですね。
大きな、ご尽力をなさったくださいました。
岩彌之助さんや、岩小彌太さんなど、
他にも、綺羅星のようなお方が、多くお出になられておられます。
このことも、我が国の立ち位置のしかるべき貴さの顕彰に寄与するもので御座います。大きなお仕事の事である訳で御座います。

戦闘で散華為された、貴いお方もそうですし、
どうあっても、我が国のタカラモノを、まもるべしだ!!!
と、ご尽力のこと、為されたことは、大きなるご判断です。
二束三文で外国への流出を防ぎ得たことは、とうとい、いさおしだと思います。

言いだしましたら、他にも、キリが無くでて来てしまうのが、
わがくにの、文化・文明のすごいところですね。
あれこれと、見聞を広げてゆく程に、
ビックリの素晴らしいお方々の功績を知り得ます。
本当に感動で御座います。
身を呈して、何に尽くすか?
よくよく考えましたら、
「トのヲシヱ」の極致ですね。
この場合は、
「トのヲシテ」の概念の方が近いかも知れません。
その、文明の6000年来の、
いや、もっと長いことは確実ではありましょうが、
今のところ、
我が国の文明の6000年と、
少なめに見積もっての主張で御座います。
さてさて、
文化・文明史の近世・現代編は、
1っ冊や2〜3冊では、とても収容しきれませんです。
 
この事を、
言った表現が、昨日読んでいた本にありました。
 
イタリア人の事を、少し離れている、我々などの日本人は「陽気な人種」だと、そう表現して、みんなそれなりに納得します。
でも、
もっと、親密に、イタリア人の友達を何人も付き合って日常生活に溶け込んでの実感をしている人からは、そういった、概略の一括りは全然意味を為さないと、言われます。
さらには、イタリア人の国民性の研究に携わっている人に言わせると、個性の広がりや、地域性においての区別も、詳しく調査したら、
2018/11/28 6:11 PM, from いけだ
石水博物館のこと、
すこし、説明します。
こちらの地元の地銀の、百五銀行(ひゃくご)の、頭取として活躍した人物です。
この、
川喜田 半泥子(かわきた はんでいし)が、開いた博物館が、石水博物館です。
西には、逸翁美術館の小林一三。東には、北大路魯山人。
と言った感じでも並び称されます。

川喜多 半泥子は、
三重県の地元の関係の、本居宣長のモノも多く集めていました。
石水博物館は、近年に、新築で建て替えられて、
とても美しく、快適になっています。
 
来、伊勢・津市の際には、
お寄りして頂くと良いスポットです。
http://www.sekisui-museum.or.jp/exhibition/thisyear.html

そういうこともありまして、
わたくしは、百五銀行に口座を持っております。
「国学」に対しての認識が、やはりあるところが、望ましいですから。

そうそう、
静嘉堂文庫の
岩崎さんたちのことなども、あげねばなりませんですね。
大きな、ご尽力をなさったくださいました。
岩彌之助さんや、岩小彌太さんなど、
他にも、綺羅星のようなお方が、多くお出になられておられます。
このことも、我が国の立ち位置のしかるべき貴さの顕彰に寄与するもので御座います。大きなお仕事の事である訳で御座います。

戦闘で散華為された、貴いお方もそうですし、
どうあっても、我が国のタカラモノを、まもるべしだ!!!
と、ご尽力のこと、為されたことは、大きなるご判断です。
二束三文で外国への流出を防ぎ得たことは、とうとい、いさおしだと思います。

言いだしましたら、他にも、キリが無くでて来てしまうのが、
わがくにの、文化・文明のすごいところですね。
あれこれと、見聞を広げてゆく程に、
ビックリの素晴らしいお方々の功績を知り得ます。
本当に感動で御座います。
身を呈して、何に尽くすか?
よくよく考えましたら、
「トのヲシヱ」の極致ですね。
この場合は、
「トのヲシテ」の概念の方が近いかも知れません。
その、文明の6000年来の、
いや、もっと長いことは確実ではありましょうが、
今のところ、
我が国の文明の6000年と、
少なめに見積もっての主張で御座います。
さてさて、
文化・文明史の近世・現代編は、
1っ冊や2〜3冊では、とても収容しきれませんです。
 
この事を、
言った表現が、昨日読んでいた本にありました。
 
イタリア人の事を、少し離れている、我々などの日本人は「陽気な人種」だと、そう表現して、みんなそれなりに納得します。
でも、
もっと、親密に、イタリア人の友達を何人も付き合って日常生活に溶け込んでの実感をしている人からは、そういった、概略の一括りは全然意味を為さないと、言われます。
さらには、イタリア人の国民性の研究に携わっている人に言わせると、個性の広がりや、地域性においての区別も、詳しく調査したら、どうでしょう?
みんながみんな陽気だって、どうして言えるのか??
って言う結論だそうです。
簡単に捉えようとすることが、
そもそものところ、これが間違いのもとのようです。
2018/11/28 5:50 PM, from いけだ
11月23日(金)新嘗祭の日、パラオのペリリュー島へ旧日本軍の慰霊の旅に行ってまいりました。戦前、パラオのペリリュー島には東洋一の滑走路があり、日本への飛行機基地の拠点としてもっとも重要な地でした。大東亜戦争が始まって、アメリカ軍に攻められるようになりましたが、どうしても敵の手に渡すわけにはいかなかった地です。

アメリカ軍はペリリュー島への上陸に先立ち、打ち込んだ爆弾は17万発、日本軍の艦隊も航空機も壊滅状態になりました。軍艦、輸送船50隻が珊瑚の海に沈んでいきました。制空権も制海権ももやは日本軍にはありません。食料も救援物資も武器弾薬も補給は一切なくなりました。

アメリカ軍は、上陸すれば2日で全滅できると思いました。しかし、日本の守備隊は、塹壕を掘って潜み、耐えに耐えて71日間戦い抜きました。

今回の旅では、この激戦のあった島に渡って、現地の方々が建てて弔って下さった慰霊碑に、祈りを捧げてまいりましたが、その夜の月はパラオでも綺麗でした。

翌日の11月24日は、奇しくもペリリュー島を護りに守って刀折れ、「サクラ サクラ」と打電したのち、中川大佐が司令部の壕の中で自決した日でした。本島の日本軍戦没者慰霊碑の前で君が代を歌い、黙祷を捧げてきました。

日本は負けましたが、でも、決して犬死にではありませんでした。この後、日本軍の勇気を見習い、多くの国々が独立していきました。日本軍は島の人たちにも優しかった。アメリカ軍がいよいよ攻めてくるというときには、島の人達を一人残らずペリリュー島から外へ出して、ひとりの犠牲者も出しませんでした。

日本軍が優しかったのは、縄文から続くヤマトの教育が良かったから。天皇が統治される国だったから。でも、尊敬されるのは、軍隊が強かったからでもあります。私は、ホツマツタヱの「ノリノリヒトヌキマノアヤ」を思い出していました。このアヤでは、トヨケカミさまが、乗馬の方法(軍事技術と精神)を教えてくださっています。日本が縄文の昔から、国防には大変な力を入れていたからこそ、国が永らえていたのだし、尊敬もされていたのだと改めて気づきました。

さて、そこでですが、ヲシテ文献はどうしてもいまの世に出てこなければならない第1級の国書だと、ますます思います。然し乍ら現実は中々伝わらないでいます。その理由の一つとして、本居宣長の存在も大きいと、今回は気づかされました。本居宣長が江戸時代に古事記を読み解いた功績が大きく取り上げられているからです。その尊敬の念もあり、古事記の貴重性を後押ししているのではないかという事です。

確かに「古事記「は、明治から現代に至るまで、神武天皇から続く大和国としての功績はありますが、池田先生のお話では、本居宣長は師匠の賀茂真淵に古事記を取り扱ってはいけないと破門されたとのことで、本居宣長は尊敬には値しないとの認識でした。でも、世間では本居宣長は、ヒーローです。人に説明する時にも自分自身がよくわかっていないので、説明できない状態でいます。

このようなわけで、本居宣長が賀茂真淵先生に「破門」された経緯について書かれている書物などありましたら、ご紹介していただきたいと思っています。学ばせて頂きたいです。
2018/11/28 9:24 AM, from 山脇幹夫
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