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『ホツマ ツタヱ』1アヤの5回目。「キタ」の意味のこと。

アマテルカミは、国民の幸せのために、と、
長生きをなさって下さっておられました。
それも、誰も食べられないほどの、
苦い苦い薬草をお召し上がりになられて、です。
長寿の薬草のチヨミクサは、とても苦かったとの事でした。
          ・
と、
カナサキさんから、わたくしたちがこの話を聞きますと、
この、日本人ならジーンとくる感動の話は、
『古事記』にも『日本書紀』にも、
たったの一行ぽっちだって、書かれていません。
だから、翻訳ものの、劣化コピーの『古事記』や『日本書紀』は、
ダメだっていう事で御座います。

とくに『古事記』は、ネストリウス派の神教の影響が強いので、

良く良く注意すべしです。

この点、本居宣長はポンコツだったと言えます。

1300年前の帰化人グループのおとしめに、気が付かないのです。

言ってみれば、お花畑もいいところでした。

それに比して、本居宣長の師だった賀茂真淵は偉かったですね。

松坂の一夜の物語は有名でしたが、

いまでは、あまり聞いた事無い人も多いようです。

やっぱり数段の格上です、賀茂真淵は。

けっこうの識者でも、戦中や戦後生まれのお方は、

『古事記』と『日本書紀』との違いも知りもしないお方も多いです。

本居宣長は、生涯かけて、あこがれの恩師の賀茂真淵に不実の償いをしていました。

事実上の「破門」をされたからですね。

三重県の津市の石水美術館に、それと解かる書簡が保管されています。

わたくしが思いまするに、師の先にと乗り越えてゆく事は、

本居宣長には出来得なかったのでしたですね。残念ながら。

「破門」されたら、「ミソギ」をして出直してくるか?

または、師の先にと歩みを進めるか?

ふたつにひとつ、前進的なスタンスではですね。

どちらにも、前向きの展開が出来得ず、悶悶と、

世知辛くやっていっただけの人物が、本居宣長だったとも言えましょう。

彼も、そこで、脱皮をして行けたら、すごかったとも思います。何しろ、彼は、頭いいし。

なんでも「根性」が大切だと思います。とくに、あたらしい「国学」の樹立という、

大きなテーマでは、尚更です。

 


       ・       ・
さて、さて、

『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に、話を戻しましょう。
私たちもそうですが、
ヒトは、天地自然からの恵みを受けて、生命を繋げています。
一時だってそうです。
アマテルカミのご長寿も、やはり、天地の恵みを得てこそだったのでした。
天地の恵みの事も、東西南北の「キツサネ」の名称にも反映がされての命名でした。
温かさを得る「みなみ」とは、活力のみなもとです。
多くの活力を得るようにと、アマカミ(古代に天皇陛下)の「ミヤ」は、


南向きに建築されていました。これが常識的な標準です。
今でも、神社の多くは南向きに建築されています。
アサキ(朝の気)を受ける南、とも言えますし、
もっと深く踏み込んで考えますと、


「ア(アメ・宇宙の源)」からの「サ(さわやかに広がる)」の「キ(エネルギー・ナミ・恵みのちから)」
を、多く受けるのがミナミで「ミ(実・身・身体)」に「ナミ(成りくるもたらし)」の意味にも取れます。
樹木でも、南側は年輪の幅が広くて、早く成長しています。「ミ(実・身・身体)」に「ナミ(成りくるもたらし)」を、


多く受けるからです。
そうして、南向きに建築されるアマカミの居宅はミヤと呼ばれます。
「ミ(実・身・身体)」に「ナミ(成りくるもたらし)」の来るのが、

「ヤ」のように際立つからです。だから、「ミヤ」と呼ばれるのです。


「ヤ」は、上方の「ア」との繋がりを表します。大地に当たり広がる雰囲気も表現しています。
大宇宙の中心からの恵みを、人々に広めるイメージに成りましょうか?
そのミヤの、後ろ側は、「キタ」と言います。
「キタ」も意味の込められた言葉です。


「タ」が「来る」ことの意味が込められてもあるようです。
「タ」は、温かさの充満してくる春の事でもあります。
ヲシテの文字をよく見て貰うと解かります。


棒が3本、丸の空中に入っています。
温かさの棒が4本。
冷たさの棒が4本。
この入れ代わりで、季節変化を表現します。ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの、原理です。
「縄文哲学」の基礎です。
これも、ヲシテ文字で書かないと訳が分かりません。

基礎的な概論は、辞典の『ホツマ辞典』(池田満、展望社)で既述しています。
「タ」の文字は、棒が3本、丸の空中に入っているので、
「ハル(春)」に相当します。
「キタ」の言葉を説明するにも、「縄文哲学」が必要です。
「縄文哲学」に基礎をおいて、漢字以前の時代の文化・文明は形作られていたからです。
「キタ」の説明を聞くだけで、もう、お疲れでしょう。
今回はこの辺で置きましょう。まずは、みなさま、『ホツマツタヱ』か、『ミカサフミ』の、
1アヤ、2アヤを暗唱・暗記なさってみてください。
やり方は、『ホツマ縄文日本のたから』(池田 満、展望社)を見て貰うと解かります。
漢字以前の我が国の大文明は、ここが、扉を開く入り口です。

さらに、くわしいく新たな新発見の概念の事は、『よみがえる縄文時代 イサナギ・イサナミのこころ −新発見『ミカサフミ ワカウタのアヤ』アマテルカミが解き明かす−』(池田 満、展望社)で、ご覧下さい。

 

| 日本史 | 17:40 | comments(4) | - |
Comment
「縄文哲学」、縄文土器に見られるあの、すばらしさのこと。その根底は、天地の恵みに感謝すると言う事。
天地の巡りを理解して、それに合わせて、こそ、恵みを得ることが出来ます。それで「トシノリ」と、クニトコタチさまがおっしゃっておいでだったのです。

異常気象の事、現代なんかは、まだまだ、生易しいと思います。
歴史を見ると、もっと、すさまじいのでした。
『明月記』に藤原定家は、すごい異常な気候を記録しています。
1230年(寛喜2年)に、ひどい異常気象であったと、6月28日、冷夏で、冬用の「綿衣を着る」と記しています。6月28日って、ミナツキのミソギの時ですよ。もっとも暑いとき。それが、綿入れを着るのですから極端です。
そして、その年の12月には、逆に暖冬で桜が咲いて、タケノコが生えて来て食べたそうです。
無茶苦茶な異常気候です。
それが数年も続いていたそうです。そりゃ、飢餓にも成ります。
セットで、疫病もはやるのでした。
また、日蓮の頃も酷かったそうです。
『立正安国論』の冒頭にも、天変地変と飢餓と疫病が酷いと、書いています。
1256年からの異常気候です。大水と洪水。疫病が流行る。そして飢餓。
そのセットに、多くの人々が亡くなっていったわけです。
特段のモノだけあげても、余りにも多いです。
その多くの原因は、巨大火山であったようだと、解明が為されつつあります。
今現代の、異常気象なんて、甘いものだと思います。歴史を紐解くと。

今怖れられている大きなもののひとつは、イエローストーンの火山もあります。
日本では、鬼界カルデラもすごいですね。
小惑星の衝突も、同様の事に成ります。(大きさ次第ですが)
近傍小天体(Near Earth Asteroids)は、今やっと観測体制が整って来ています。
http://www.spaceweather.com/
見つけた後どう対応するのか? いまだ、考えてゆくべき課題です。
 
メガネは、今日、運転用を作ってもらいまして、
大満足です。かつて、これ程よく見えた記憶がないです。
みなさま、こんなに良く見えておいでであったのか!!
驚いています。視力1.0の世界観を、初体験でした!
2019/07/13 1:48 PM, from いけだ
おはようございます。
今日は曇りですが、穏やかな良い日になりましたですね。

早速の詳しいご説明ありががとうございます。
段階を追っての説明を受けまして、自分の中でも少しずつ理解が進んで来たように思います。

まず最初は、
クニトコタチさんの時代に「トホカミヱヒタメ」の概念が最初に出来た時には、太陽の巡りを見ていたわけですね。自分の受ける皮膚感覚よりも、太陽の恵みを中心に観ていたと言う事でしょうか。そうしますと、地上の温まりもズレを生ずるという事になりますね。
そして、トヨケカミの時代に太陰太陽暦になって、「ナメコト」が編まれて、月とも合わせて更に詳しく考えられて行き。

3段階目は、現代のグレゴリオ歴になったという3段階の変化があったという事ですね。順を追って考えてみますと、成る程と思えます。

私は更に4段階目として、近年の異常気象による季節感のズレも感じます。3月になっても寒かったり、9月になっても暑さが続くといったのが当たり前になってきて、お盆を過ぎたら涼しくなるという感覚の年も中々ないですからね。

「トホカミヱヒタメ」の棒が増えたり減ったりする変化の様子も、説明をして頂いたら、すんなりと見えてくるようになりました。
この文字が、1文字ずつ、何故選ばれたかと言うこともよくよく考えて、選ばれたのですね。ウ行(ホ)には、1文字もなくて、「ア・イ・エ・オ」の中で2文字ずつ選ばれています。これも、どの文字を選ぶのが適当なのか?ということも、季節感と合わせて考えられていますね。

この季節を表す1文字ずつが選ばれた理由を考えるだけでも、「縄文哲学」は凄いなと、思えます。
詳しいご説明のお陰で、理解が進みました。ありがとうございます。
また、「ナメコトノアヤ」を詳しく読んで行ってみたいと思います。

眼の見え方も随分と良くなられたようで、良かったです!!
JINSメガネさん、レンズの交換だけもお安くやっていただけるのですね。
中々その価格でレンズ交換を快くしていただけるお店もないと思いますので、かえって良かった事になりますね。
2019/07/13 7:22 AM, from 山脇幹夫
日の巡りと、
気温の高低の巡りとは、
おおよそ、ひと月ほどのずれが生じます。
夏至が6月の22日のあたり。(旧暦ならサツキのなかば)なのに、最高に暑いのは7月末か8月の初旬に成ります。(旧暦ならミナツキの末)見事にズレが有ります。
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの、
季節理解は、
クニトコタチさまの時代に成立したものです。
したがって、太陽暦が基礎構造です。
つまり、日の巡りに於いてのト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メです。
ヲシテの構造上、
3本しか、子音の構成要素に作られていないのです。
そこで、クニトコタチさんは、地面の下に最後の一本がもぐる。
と言う概念を打ち出されて、
それで、4本の棒の説明を為されたのです。
新展開です。
それで、ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ。
おおよそ、
ヲシテ時代の中期に於いては、
太陰太陽暦の季節感が主になってまいります。今での「旧暦」の感覚です。
この雰囲気が、トヨケカミの「ナメコト(年中行事)」に編まれています。
さらに、
現行暦の西暦の季節感覚は、
そこからさらに、ひと月ほどの遅れのズレがあります。
本来は、トヨケカミの頃の「サツキ」の梅雨が、
ひと月ずれて「五月晴れ」なんておかしな言葉も出来ました。グレゴリオ季節感です。めっためったにややこしいはずです。
 
クニトコタチさまの時代。
トヨケカミの時代。
そして、西暦の現行暦の時代。
ずれが起きたのが、2回。
もう、かれこれふた月ほどにも、感覚的にずれちゃってるから、おかしな具合です。
 
本居宣長の事、
初めは私も、尊敬していましたけれど、彼の著書など『玉勝間』などずっと読んでゆくうちに、段々とメッキが剥げてくるように感じました。
『古事記』『日本書紀』だけしかない時代ならともかくも、
もはや、
記紀の原書をわたくしたちは手にし得ました。
これまで、1300年間のモノはことごとくリセットになるのが必定です。
 
『古事記』がひどいシロモノであることは、
梅沢伊勢三先生が、すでに、昭和30年代には提唱なさっておられます。今の『古事記』学者の人達って、やっぱり? かな?
 
眼の事、
白内障の手術は、有り難いです。
医術の格段の進歩!
メガネ屋さんも、ありがたい!
明日は(もう、今日に成りました)、運転用メガネを作ってこようか? と思っています。 レンズの交換だけですので、5000円です。予備も要りますし、幾つか用意は必要です。
2019/07/13 2:05 AM, from いけだ
眼の手術が完了されました為でしょうか、今回のブログから凄い勢いを感じました。やはり、依然と比べて随分とハッキリ見えるようになられたのでしょうか。

本居宣長の事ですけれど、私も立派な学者様だと思っておりました。何しろ江戸時代に『古事記』を発掘して世の中に出された大学者様だからと言う理由ですが、そもそも出すべき程の書物でもなかったという事は、言ってくださる人もおられなくて、池田先生に中立売の食堂でお話を聞きながら、やっと気がついた次第です。

本居宣長が師と仰いでいた賀茂真淵先生にも、松阪の一夜で一度しか会ったこともなく、あとは文通での門下生だったという事も美談になっていますが、「あれあれ?それだけで、本当に子弟の関係と言えるの?」と思いまして、『真淵と宣長・「松阪の一夜」の史実と真実』(田中康二)という本も買って読んでみましたが、やっぱりどうも、宣長が自らの名声を上げる為に、立派な先生の一番弟子ということにしたかったようですね。

しかし、これだけの事さえも、今の世の中で説明して下さる方は少なく、時代は宣長崇拝の先生方ばかりのような気がします。池田先生のような高所から見られる方がいかに少なく、貴重な存在であるかという事だと思います。

さて、今回のお話の季節の変化の「トホカミヱヒタメ」ですけれど、この理解は中々難しいですね。まだ、スッキリと腑に落ちるところまでは至っておりません。
温かさの棒が4本。
冷たさの棒が4本。
これが、入れ代わりで合計が4本になるように出来ているという事なのだと思いますが、分かりにくさの原因は、棒が3本しか見えなくて、
「メ」(4温)と「ミ」(4冷)の場合の棒が見えていないところだと思います。
最後の棒も地面の中に潜って見えないという、
この表現に慣れないと、いけないのかな?とは、思います。

また、縄文時代と現代の季節感のズレの大きさも感じます。
例えば、現在の8月から9月の中頃は一番暑い時期だと思いますが、それが「ホ」の季節になっていて、「フメ」=(2冷)なんですね。既に冷たさが2つあるわけです。
「ヱ」の季節は、現在の12月末から1月にあたりますが、「ヒウ」=(1温)なのですね。
『ミカサフミ 』の「ナメコトノアヤ」には、こう書いてあります。

ミー134
ヱノナメハネニ
シモノナカ
ヒウオマネケハ
カズメカミ
カヂオネニヒキ
ヒオムカフ

「ヱ」の季節は、冬至に始まるのですから、12月の末から2月の初め頃にあたるので、やはり一番寒い季節だと思います。でも、そんな霜の中にあって、既に植物の根には温かさを迎えていると言う事なのでしょうか?

縄文の時代の人たちは、目に見えていなくても、次の季節の準備が着々と進められているところを観じて、「ヱ」の季節は「1温」だと言っているのではないかという気はしていますが、中々現代の季節感の実感とは隔たりを感じるところです。

この感覚が、やはり「縄文哲学」なのでしょうか。
また、この感覚の違いについて、ご説明して頂ければと思っています。
2019/07/12 11:12 PM, from 山脇幹夫










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